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July 26, 2019

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レビュー:刈谷博展「ひとつの/そして/無数に偏在する/それ」

May 20, 2018

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EPHEMERAL

July 26, 2019

 

 

 

旧式の炭素測定法による大雑把な現代地球時間で、ざっと二百万年もの前に「存在」は自らを「意」とした。

その意を「識」ろうと物質次元に下ろそうと「思」った。

「思う」とは「心」が「田」次元下を図ることである。

これが「意図する」という表現を導くのである。

 

それは「想像」され、三次元下に「もの」として「創造」された。

「心象」の物質化である。

これらは「同時」に起こり、そして現在も起こっている。

存在が存在たるには、存在しつづけてい流という前提である。故に存在とは、必然現在進行形なのである。


それは地上での数十万年の出来事でもある。

後日に、エフェメラル、魂、霊、または妖精とも呼ばれるその存在は、今日の地球社会の科学者のそれのように、自れという存在を研究していた。


「その」経緯(いきさつ)のことごとくは全宇宙の

「存在のすべて」に行き渡り、くまなく、同時に、そして、そこに漏れるものの一つとてなく、起こっているという前提によるのである。

 

元、末も、意識でも概念でさえもない、しかし決して「無」などではない、人間の想像の限界を超えた表現できない在るが「空」。

 

人間の勝手な作りものの概念の、そのいずれにも当てはまらない、というイメージそれは空と表現される。

 

フラッシュバック

 

下りは、作家が生まれる前の記憶、そして以後の二度の死の経験で観たフラッシュバックの光景からの記録である。

 

生体離脱の霊視体験と2018年のヒプノセラピーの際に観たストロボに映し出されるような一瞬の光景の断片的な記憶による。

 

永遠の長さと言える体験は眼を開けると、一瞬の閃きである。

眼を瞑っていて、その内で見ている光景の情報は無限大で余りにも多く、いちいちの一瞬に書き留めることでもしなければ覚えられない情報量なのである。だから、地上に戻った瞬間、そのほとんどが覚えきれなく消えてしまうのである。

 

その時、自分は当事者という感覚ではなく存在を眺める光景の一部始終を観ているものであり、体験するもの、それら一切の登場するものことごとくの、塵も含まれる、出来事の波動それぞれなのである。

 

その記憶の断片は、時折、くつろいでゆったりとしている、まどろみのようなひとときの呼吸のリズムに同調し、イメージが降りてくる。

 

イメージは、膨大な量で、すべてである故に、当初、そのほんの少ししか憶え留めるということができなかった。

 

眼を開ける前にそれを反復し、また眼を閉じて集中し、少しづつ、これを断片的に書くことができるようになったのである。

 

この記述には元々順番がない。

 

それは、意識という概念でさえなかった。

 

この意識という概念は人間が与えられた情報をヒントに創作されたものである。

 

ある情報とは?

 

(この情報の重要な部分は、ここでは、まだそれに気づくべき段階に達していない人の「知らないでいる」という自由意志を侵害するので、直訳的には述べられない。

 

この自由意志という概念が最も重要なのだというヒントにとどめおく、とここでは述べておく)。

 

 

それは、「概念」という「基準」でさえなかった。

 

それは、その基準という「物差し」でさえなかった。

 

これが、「その」ヒントの一つである。

 

「それは」、ということさえもが、実は学習させられた概念である。

「この実は」、という「こと」でさえもが。

 

「その」ということ、という「集中」の概念が物差しである。

この集中を所有する(物質化する)ことを曼荼羅という。

 

次に述べる「だから」、という、論理の展開も、である。

構造化するという物質化である。

これを次元に降ろすという。

 

という「具合」、にもたらせられるのである、

という運動が派生するの「である」。

 

「この」鉤括弧、この集中への方向が運動性である。

「この」鉤括弧が集中を促し、眼をその方向に向かわせ心に波動を引き起こす。意が成る、つまり生る、生きるということ、生むにつながる。意識が意図を生むという具合である。

 

このとか、其れとか、の指示代名詞とは概念である。

 

同じようにー

 

作るとか、意識とか、も概念である。

だからとか、元々は、とか、

それは何とか、何れとか、記憶とか、も概念である。

これらのとか、とか、とかの概念が、文字として指示代名詞として、記号として、説明として、道具として登場する。

 

その、ようなもの、として、三次元下に現れる。

 

この意識の具合の具現化を在ると云う。

意識が概念を思い、意識下し、具現化を果たし続ける状態を存在という。具現化とは順列が伴う。具現化とは配列が伴う。具現化とは種別が伴う。具現化とは作用が伴う。具現化とは質が伴う。具現化といという具合にが伴う。そしてそれらはそれら自身がそれら自身による自ずの由を伴って変わり続ける、変わり続けるから持続する、持続するから見えるものとなり、見えるものとなるから見えるものとなり続けるという自由が伴う。自由が伴うからその作用の反対が映し出される。それらは全て一つより発しているからその一つに帰るべく方策が伴う。などなどの概念、それそれという概念、だからだからという概念、そして、それ、だからそれ、などなどという概念、などなどあれよあれよが順番に止まることなく出来あがって行く。

 

それらは整理上、分離する、理解の上、記憶の上、イメージの上、

区別する、並べる、順序を作る、配置を作る、硬さを作る、柔らかさを作る、個体を作る、液体を作る、気体を作る、そして意識を作る、無意識を作る、顕在意識を作る、完全性を作る、不完全性を作る、真実を作る、嘘を作る、惑いを作る、愛を作る、憎しみを作る、恨みを作る、

 

全てを分離させ、それらを、凝縮し落としこむ。

それが重力を産む、という方向に波長が三つの概念を物質化する。

質量が形成される。それらは見えるもの、触れるもの、感じられるもの、味わえられるもの、聞こえるものと、その質として形成され始める。

 

これに加えて、これらを観る

 

その分離を知るために、

その分離を体験するために、

その次元を具現体験するために、

 

自らがこの「観るという立場」をその物質次元にある間は忘れるのである。

 

だが、それはその次元を離れた状態において蘇る。

だが、しかし、質量と重力という波長を下げた状態に下りた瞬間、忘れる。

 

そこに、かすかな記憶という余韻を残し、忘却という記憶の反作用を暗示し、夢という次元に蘇る。その夢を思い出すか、が疑問だが。

 

それらをやがて無尽蔵な数字を創り記号のように配列し、

それらすべての記憶数列をDNAに刻み込むのである。

それらは松果体という頭の額の上あたりに集中すれば読み取れるのである。やり方を思い出しさえすれせば。

 

これらを全て作った。

それを作ったのは。

自らが、である。

 

 

 

ここからの下りは改変される。


F①


「覚えていないが、ほんとにそれはそうだった。」


「自分が作ったとしたら、何に影響されてたのか」。


F2bc


この意識が、極小の微細な意識として、とてつもなく甚大で無限の…。

それは、形でも、寸法でも質量でも、思いで測れるというもの、ことでさもない…。


F3bc


自が

ひとつの意識の端っことして

宇宙っていうものを作った

意識の意識でもある

塵ゴミでもあるとしたら…、

 

何か…、好奇心として…、

惑星をたくさん作って…、

分離させて……、

いろいろ経験したことの中の1つに地球が来て…、

 

地球ができて

その中の地球のひとり。

 

一人の人間という動物がいて…、

自分はすっと、

入るだけだから…。

最初は、

この地球次元の物理的時間という有限で、

ほんのちょっとという間だけなら、

元に戻れるという。

 

自らという宇宙だかなんだか、

 

意識だかなんだかが勝手に遊びで…

作った。

 

落ちたら。

下ったら。

 

そしてある一定の周期に戻る意識を持たなかったら、

という自由意志による

という約束事での、

しかもその、

自分の約束事、

法も忘れるという、

 

それは実に堕ちるのは、

「実に」簡単なことだった。


念には念を入れ、

 

実際に忘れた場合の、

気付き、

思い出しに至るには

幾百万年が経るにいたるだろうが、

 

それは、

DNAに刻まれていた…。


A1


その仲間の中に、

 

何百万年もの時間が流れるうちに、

エクスタシィを経験した者がすっかり魅了され、

次元に閉じ込められてしまった者がいた。

 

挙句は自分が意識=魂であったことも忘れてしまっていた。
(エデンの園の禁断の実リンゴをかじるという神話は、

この魂エフェメラルの経験に符合する)


B2


意識としては、したかったことを分離させて、

惑星になったり、

いろんなことや、

いろんな人になったり、

塵芥や、

いろんな状態になって、

鉱物や植物や動物や

それらすべての存在系を経験していた…。


C3


惑星のほうに意識を向けるって事は

自分が作ったものに影響され、

 

私は宇宙で

惑星は私が作ったものだから、

 

影響されるという偏りは意識で排除できる。

と思い、


何にも影響されない。

 

影響されそうな人がいても、

あなたは私だから…

全ては元々も末も自分だから…と。


D2


いろんな波動が乱れる時もある、

怒りや、

恐れや、

快楽、

 

といった物質部分の自分経験が出来る

この地上が好きになっていた。


E3



F4

🅱️876



C143




Fjhg987



アGkL9m01


宇宙を作った、

その内に自分の分身をあらゆる場に配列した

そしてその一切を忘れる

という意識の計画。


覚えてない…

ほんとに…

それはそうだったのか?。


…本当に作ったのが自分だとしたら。

ひとつの意識が例えば

45億の10兆乗の数の

宇宙っていうものを作り

 

さらに、億、京、不可思議数の物性を作った

意識だとしたら…、

 

好奇心として…、

惑星をたくさん作って…、

分離させて……、

いろいろ経験したことの中の1つに地球が来て…、

 

地球ができて

その中の地球の1人の

誰誰のそれぞれの君というのがいて…、

 

私そうですと

入ったりするとして…、

 

意識としては、

したかったことを分離させて、

いろんなことや、

いろんな人になったり、

いろんな状態になって、

惑星になったりして、

経験しているっていう…、

 

目的はなんだ?

学ぶため?

何を?

 

そして学んだ後は、

何がまた目的になるのだ?

終わりはあるの?

ただの遊び?!

がひょっとして答え?か、

 

とか、

なんとかとつづく?

みたいな?こと?


惑星のほうに

意識を向けるって事は自分が作ったものに影響され、

私は宇宙で惑星は私が作ったものだから…

 

 

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