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レビュー:刈谷博展「ひとつの/そして/無数に偏在する/それ」

May 20, 2018

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「時刻」ときのしるし

倉林靖 「開放系」カタログ評論文、水戸芸術館、1994年

刈谷博の個展『追悼1992』に初めて訪れたときの印象は鮮烈だった。展示会場は一階と三階に分かれていたが、まず「18面経」と題された一階に入ると、廃棄物を袋につめることによって作られた人体が何体も横たわっている。その人体は紐で梱包されており、そこにはチョークで雑然と英文が書きなぐられた黒板の断片が幾つも結び付けられている。何だか分からないが、なにか人間と社会に関わるのっぴきならないメッセージが封印されているのだ、と予感される。

 


「415 Palestinians」と題された三階に上がってみると、こんどは壁一面に、文字を書いた黒板がびっしり並べられている。「Killing」などといったスキャンダラスな文字が目につく。ときどき新聞記事の切れ端が貼ってあるものもある。殺人や暴動や戦争を扱ったものが多い。そこには人間の罪深い行為が文字の形をとって、作者の強烈なエネルギーによって封じ込められているように思えた。会場はこのうえなく静かだ。しかしそこには同時に無数の叫びが満ちていたのではないか。沈黙の叫び。空間に帯電された、業の深い人間の生の営み。
刈谷博は、このときの個展の副題を「報道絵画・彫刻展」と名付けている。なぜ「報道」なのか?彼は毎日読む新聞や雑誌の記事のなかから、あれらの言葉に巡り合って、書きつける。なによりもまず真実を伝えようという意図から発した言葉たち。それゆえに、彼の作品は「報道」絵画・彫刻なのだ。毎日、世界のどこかで発生している強い憤り、深い悲しみ、それらを彼はアートの形でそのまま見る者に伝えたいと欲するのである。

刈谷の作品を流れる思想はきわめてユニークであり、そしてある意味では、やや難解である。

 

「私の作品のテーマは、書く(刻す)という行為であり、その過程であり、そのイメージにある。」「この作品のテーマは生きる(刻す)という行為であり、その過程であり、そのイメージにある」と彼は言う。そして、この「書く(=生きる)」という行為の背後には、仏教でいうところの「写経」という考え方がある。彼は、自分の作品のことを「"Sutra",言い換えると『お経』であるという。「"Sutra"とは梵語で糸または紐の意で、生きるための教えを書いたものを編纂するのに用いた"綴じ紐"という意味である」。
写経とは、経文をかきうつすことにより、死者への供養や、願いや祈りを捧げることで、もちろん経文を後世に伝えるという意味もあるが、むしろ写す者の精神や彼をとりまく世界を平安にする目的のほうが大きいと思われる。写された経文という、行為の結果よりも、写すという行為そのもののほうが尊ばれるという、われわれから見れば一種の逆転が起こるのである。ここにおいて、書くこと=生きることとなり、行為は祈りとなる。

仏教的世界観に照らしてみれば、この世界で生起する一切の出来事は、また一人一人の個人とも「因縁」という形で密接につながっている。世界の森羅万象、万物が、連鎖する原因と結果のなかで結ばれているのである。だから、いま世界で起こっている暴力、戦争、悲惨、あらゆる行為が、実は個人の欲望と結ばれているのである。世界の出来事に個人は責任の一端を持ち、そして、世界を、自らの欲望が生んだ「業」の結果として見る必要が出てくる。これは、西洋世界が持ちえない独自な世界観・人生観であり倫理観ではあるまいか。刈谷はこうして、世界で起こっている事象に対して、自らの精神からの祈りを捧げるのである。


こうした考えの背後には、やはり、物心二元論・主客二元論を超えた東洋の一元的な思考があるといえるだろう。個人の「精神」と、世界で生起する「事象」とは、分かち難く結ばれている。そして本来、世界とは、時空を超え、時空が統一された世界を本質とするものなのである。しかしこの物質世界においては、逆に、一切は「今」という時間のなかで生起する。そこで刈谷は、今生きてここに在る、という営みの表現として、「一句蓮経」を捧げる。1977年に日本から渡米して以来、毎日さまざまなものに書き付けているのだという。「the now is the now is the now is the now is the ...」と、その経は、無限の円環を広げていく。


刈谷はその77年以来、今日まで、さまざまな「経」を行っている。それらは、経が書かれる素材などから、さまざまな名で呼ばれている。「流木経」「年輪経」「石想経」「渦巻経」「廃材供養経」「種子経」「合掌経」「呼吸経」などと。たとえば「種子経」は、「一日に一度一握り分の豆にお経を書いたもの」である。


そして刈谷にとってもうひとつの経が、新聞や雑誌に出ていた記事の言葉を黒板にかいていく、あるいは切り抜いて貼っていく「黒板経」である。こうして刈谷の作品は、「つくる」という意識よりもむしろ、日々の平凡な営みのなかから出来上がってくる。まさに結果よりも行為のほうに重点が置かれているのである。また、作品に使われた素材はすべて廃棄物・廃材であり、それらは展示のあとはまた別の作品に使われたり、別な用途に使うためにとっておかれる。この世界における、あるいは物質世界と非物質世界とのあいだにおける「もの」の、もしくは「生命」の循環、死と再生を表すものであろう。そして同時に、展覧会場に置かれた廃棄物は、今日の物質世界のなかではそれらが文字通り「死物」と化するほかはないこと、今日の「死」がこのように陰惨な光景であること、なども告げているのである。

こうして刈谷の作品は、「今」の世界が生起させる、さまざまな現象が、物質と言語によってあらわされた場となる。「追悼1992」の場合には、一階にあった18体の人体はそれぞれ「ソマリ人」「ソマリア」「三人のトルコ人」「寺院」「カーディスタンと呼ばれる国」「ロシアはロシア」「アンゴラ」「エルサルバドル」「カンボジア」「からだを包むもの」「ボスニア」「ホームレス」「放射能」「廃棄」「アジアエイズ」「母」と呼ばれる。「母」は、この年亡くなった刈谷の母をあらわし、個人的な体験における「死」と世界で起こっている「死」の関連がここで表現された(「母」のそばにあった付けっぱなしのテレビは、今日から明日への持続性を示すもの)。ここに書かれた文字は、それぞれの人体に関連する新聞記事からの引用である。たとえば「三人のトルコ人」は、ネオ・ナチによって三人のトルコ人が殺害された記事から生まれた。


廃材を使って物質の生々流転を表現すること、およびそこに経のさまざまな作品を配して、時間が悠久のものであり同時に現在性としてのみ顕在するということを表現したものとして、1990年にペンシルバニア大学のInstitute of Contemporary Art (ICA) Philadelphia で開かれた個展がある。そこでは、以前に同じ場所で行われたイリヤ・カバコフの個展のあとに出た廃材を利用した。物質の循環という思考から生まれた典型例としてのインスタレーションである。すなわち、カバコフのインスタレーションで特設された壁を取り壊し、その廃材の木材と漆喰版を使ったのである。


取り壊しの際、刈谷はまず壁に格子状の線を引き、区画ごとに文字と番号による表示を書き込んだ。彼は大きな断片によって壁を再構築し、また木材は大きさごとに整理して脇に並べ、果ては細かい断片や屑、埃さえももれなく利用し並べるのである。さらに、細かい漆喰の破片800個に通し番号と捺印を施し、それをICAが一人につき一個一ドル紙幣のみで販売し、その売り上げはカバコフの壁の材料費の埋め合わせとして利用することにしたという。

ICAの個展では、カバコフの壁を再生したこの「記憶(カバコフの壁)」のほかに、次のようなインスタレーションが行われた。

 


廃材の木片を横6列の帯状に展示し、また床に幾つもの巻物(いろいろな長さに広げられている)を置いた、「八千年の春、八千年の秋」(木材と巻物にはそれぞれ「is the now」経が書かれている。巻物のほうの経は、木材に経を書いた筆の絵の具を洗う途上で描かれた)。そして、さまざまな経の作品を、木材の自在棚や、その背後の床に並べた「経墓」。

 


そのさまざまな経の作品のなかには、先にあげた、流木や、年輪のある木に経を書き綴ったもの、丸い石の円頂から渦巻状に経を書き、裏にまわってもうひとつの円頂まで書いていくもの、さらにその二つの円頂を貫く穴をあけて循環性を強調したもの、またインク瓶などの小さな容器、電球、ポストカード、骨など、あらゆるものに経を書き付けたものが展示された。そこにはまた、一個一個が経文で覆われた百個の小さな石灰石と、先ほど述べた「種子経」の、一握りおよそ百粒の豆の群れが百握り分(一個一個の豆の表裏も経で覆われている)とが、それぞれ輪をなして床に配置されていた。

このような展示に見られる刈谷の作品の特徴は、ひとつには、呪術的・儀式的側面であろう。アラビア文字とも見紛うばかりの、うねりの激しく、そして細かく執拗にものに刻み込まれる文字は、それだけで、何か文字の持つ呪術性を思わせる。その経が書かれた日常品は、「もの」の次元を一気にとびこえて、物質性と非物質性の両者を合わせ持つ特別な性格を与えられるようだ。

また、部屋のなかに明確なプランを持ってものを「置いて」いく刈谷の展示は、アメリカ・インディアンなどさまざまな種族が行う秘儀の行為を模しているかのようである。それらのひとつひとつの配置の行為の裏には、刈谷によって与えられた意味が充満している。それゆえ、その意味のひとつひとつを詳しく解説しようとすると、刈谷の作品はいつも極度に膨大なテクストによってやっと語り尽くせるような幅に広さを持っていることを思い知らされることになる。しかしそれらの行為の意味は、もちろん刈谷ひとりが基本的におっていればよいものなのだ。刈谷の作品は、それ自体で完結した行為であり完結した意味を持つものであって、その点では、表現と受容という西洋的な美学の基本的な設定を崩してしまいかねないものである。刈谷の作品は、特定の意味や表現を受手に伝えるものではなく、その作品が世界内に存在するという、作品のありかたそのものを観客が受け入れることによって受容が成立するという点で、他にはあまりない、アートの新しい在り方を示唆するものである。

今回の水戸芸術館におけるインスタレーションは、基本的にこうした営みから生まれた空間であり、従来よりさらに拡大され表現性を増したプランを持っている。さまざまな部分から成っており、それらは「包帯とガーゼ、絆創膏の旗」「世界の壁」「赤十字の壁」「担架」「百体のからだを包むもの」「花とローソクとチョーク」「女の子とハゲタカ」「ボスニアの壁」「UNの壁」「砂袋の壁」「トルコ人の壁」「抗議の壁」「迷路のある教室」「修理中の机と椅子」「落書きの壁」などと呼ばれることになる。

 

 

 

 


そこではれいによって、黒板に書かれたさまざまな文字や、布に包まれた人体をはじめ、血痕や絆創膏がついたガーゼや担架や赤十字のマークのイメージ、人々の抗議の声を書き付けた板、棒、布、砂袋、国連の救援活動の物不足の様子、花やチョークによる追悼のイメージなど、さまざまな要素が重なって、見る者に強い印象を与えるだろう。

最後に観客が入る展示室は、勉強机と椅子が迷路のように並べられて行方を阻んでいる「迷路のある教室」と呼ばれる部分で、観る人に特に感慨を与えずにはいないだろう。それぞれの机の上には、宗教、環境憲法、国家、民族、人種、政治、City Water、Education、Food、Povertyなどという新聞活字を貼った黒板が置かれている。机の内側にはタイム、ライフ、ナショナルジオグラフィックなどの雑誌、ニューヨークタイムス、朝日新聞、社会・科学・世界地図、宗教書などが収まっている。一つの机の中には、懐中電灯が付けっ放しになって用済み電池を照らしている。四方の壁はさまざまな言葉の落書きで埋めつくされている。そして観客にとって手前に、望遠鏡のついた測量機が置かれ、その望遠鏡をのぞくと、前方の壁の中央にかけられた黒板の文字がみえる。その文字は「未来」である。

 

 


刈谷の作品は、世界の状況を「客観的」に眺めて表現しようというものではなく、この世界の状況を、自己の存在も含めたひとつのものとして把握しようとする点で、西欧の美術作品にはまったくない新しい視点をもたらすものであろう。こうした視点が、これからの世界を築いていく重要なものとなっていくのではないだろうか。
時空間を超越した刈谷の作品世界は、しかしそれゆえに、やがてわたしたちが「現在」として相対することになる「未来」に対する透徹した目を持っている。この静かな、しかし烈しい主張のこめられた彼の作品は、わたしたちの存在そのものを強く震撼させる、現代アートにまれな存在感を持っているといえるだろう。

倉林靖 「開放系」展カタログ評論文
水戸芸術館現代美術センター、1994年

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