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  • 「時刻」ときのしるし

    倉林靖 「開放系」カタログ評論文、水戸芸術館、1994年 刈谷博の個展『追悼1992』に初めて訪れたときの印象は鮮烈だった。展示会場は一階と三階に分かれていたが、まず「18面経」と題された一階に入ると、廃棄物を袋につめることによって作られた人体が何体も横たわっている。その人体は紐で梱包されており、そこにはチョークで雑然と英文が書きなぐられた黒板の断片が幾つも結び付けられている。何だか分からないが、なにか人間と社会に関わるのっぴきならないメッセージが封印されているのだ、と予感される。 「415 Palestinians」と題された三階に上がってみると、こんどは壁一面に、文字を書いた黒板がびっしり並べられている。「Killing」などといったスキャンダラスな文字が目につく。ときどき新聞記事の切れ端が貼ってあるものもある。殺人や暴動や戦争を扱ったものが多い。そこには人間の罪深い行為が文字の形をとって、作者の強烈なエネルギーによって封じ込められているように思えた。会場はこのうえなく静かだ。しかしそこには同時に無数の叫びが満ちていたのではないか。沈黙の叫び。空間に帯電された、業の深い人間の生の営み。 刈谷博は、このときの個展の副題を「報道絵画・彫刻展」と名付けている。なぜ「報道」なのか?彼は毎日読む新聞や雑誌の記事のなかから、あれらの言葉に巡り合って、書きつける。なによりもまず真実を伝えようという意図から発した言葉たち。それゆえに、彼の作品は「報道」絵画・彫刻なのだ。毎日、世界のどこかで発生している強い憤り、深い悲しみ、それらを彼はアートの形でそのまま見る者に伝えたいと欲するのである。 刈谷の作品を流れる思想はきわめてユニークであり、そしてある意味では、やや難解である。 「私の作品のテーマは、書く(刻す)という行為であり、その過程であり、そのイメージにある。」「この作品のテーマは生きる(刻す)という行為であり、その過程であり、そのイメージにある」と彼は言う。そして、この「書く(=生きる)」という行為の背後には、仏教でいうところの「写経」という考え方がある。彼は、自分の作品のことを「"Sutra",言い換えると『お経』であるという。「"Sutra"とは梵語で糸または紐の意で、生きるための教えを書いたものを編纂するのに用いた"綴じ紐"という意味である」。 写経とは、経文をかきうつすことにより、死者への供養や、願いや祈りを捧げることで、もちろん経文を後世に伝えるという意味もあるが、むしろ写す者の精神や彼をとりまく世界を平安にする目的のほうが大きいと思われる。写された経文という、行為の結果よりも、写すという行為そのもののほうが尊ばれるという、われわれから見れば一種の逆転が起こるのである。ここにおいて、書くこと=生きることとなり、行為は祈りとなる。 仏教的世界観に照らしてみれば、この世界で生起する一切の出来事は、また一人一人の個人とも「因縁」という形で密接につながっている。世界の森羅万象、万物が、連鎖する原因と結果のなかで結ばれているのである。だから、いま世界で起こっている暴力、戦争、悲惨、あらゆる行為が、実は個人の欲望と結ばれているのである。世界の出来事に個人は責任の一端を持ち、そして、世界を、自らの欲望が生んだ「業」の結果として見る必要が出てくる。これは、西洋世界が持ちえない独自な世界観・人生観であり倫理観ではあるまいか。刈谷はこうして、世界で起こっている事象に対して、自らの精神からの祈りを捧げるのである。 こうした考えの背後には、やはり、物心二元論・主客二元論を超えた東洋の一元的な思考があるといえるだろう。個人の「精神」と、世界で生起する「事象」とは、分かち難く結ばれている。そして本来、世界とは、時空を超え、時空が統一された世界を本質とするものなのである。しかしこの物質世界においては、逆に、一切は「今」という時間のなかで生起する。そこで刈谷は、今生きてここに在る、という営みの表現として、「一句蓮経」を捧げる。1977年に日本から渡米して以来、毎日さまざまなものに書き付けているのだという。「the now is the now is the now is the now is the ...」と、その経は、無限の円環を広げていく。 刈谷はその77年以来、今日まで、さまざまな「経」を行っている。それらは、経が書かれる素材などから、さまざまな名で呼ばれている。「流木経」「年輪経」「石想経」「渦巻経」「廃材供養経」「種子経」「合掌経」「呼吸経」などと。たとえば「種子経」は、「一日に一度一握り分の豆にお経を書いたもの」である。 そして刈谷にとってもうひとつの経が、新聞や雑誌に出ていた記事の言葉を黒板にかいていく、あるいは切り抜いて貼っていく「黒板経」である。こうして刈谷の作品は、「つくる」という意識よりもむしろ、日々の平凡な営みのなかから出来上がってくる。まさに結果よりも行為のほうに重点が置かれているのである。また、作品に使われた素材はすべて廃棄物・廃材であり、それらは展示のあとはまた別の作品に使われたり、別な用途に使うためにとっておかれる。この世界における、あるいは物質世界と非物質世界とのあいだにおける「もの」の、もしくは「生命」の循環、死と再生を表すものであろう。そして同時に、展覧会場に置かれた廃棄物は、今日の物質世界のなかではそれらが文字通り「死物」と化するほかはないこと、今日の「死」がこのように陰惨な光景であること、なども告げているのである。 こうして刈谷の作品は、「今」の世界が生起させる、さまざまな現象が、物質と言語によってあらわされた場となる。「追悼1992」の場合には、一階にあった18体の人体はそれぞれ「ソマリ人」「ソマリア」「三人のトルコ人」「寺院」「カーディスタンと呼ばれる国」「ロシアはロシア」「アンゴラ」「エルサルバドル」「カンボジア」「からだを包むもの」「ボスニア」「ホームレス」「放射能」「廃棄」「アジアエイズ」「母」と呼ばれる。「母」は、この年亡くなった刈谷の母をあらわし、個人的な体験における「死」と世界で起こっている「死」の関連がここで表現された(「母」のそばにあった付けっぱなしのテレビは、今日から明日への持続性を示すもの)。ここに書かれた文字は、それぞれの人体に関連する新聞記事からの引用である。たとえば「三人のトルコ人」は、ネオ・ナチによって三人のトルコ人が殺害された記事から生まれた。 廃材を使って物質の生々流転を表現すること、およびそこに経のさまざまな作品を配して、時間が悠久のものであり同時に現在性としてのみ顕在するということを表現したものとして、1990年にペンシルバニア大学のInstitute of Contemporary Art (ICA) Philadelphia で開かれた個展がある。そこでは、以前に同じ場所で行われたイリヤ・カバコフの個展のあとに出た廃材を利用した。物質の循環という思考から生まれた典型例としてのインスタレーションである。すなわち、カバコフのインスタレーションで特設された壁を取り壊し、その廃材の木材と漆喰版を使ったのである。 取り壊しの際、刈谷はまず壁に格子状の線を引き、区画ごとに文字と番号による表示を書き込んだ。彼は大きな断片によって壁を再構築し、また木材は大きさごとに整理して脇に並べ、果ては細かい断片や屑、埃さえももれなく利用し並べるのである。さらに、細かい漆喰の破片800個に通し番号と捺印を施し、それをICAが一人につき一個一ドル紙幣のみで販売し、その売り上げはカバコフの壁の材料費の埋め合わせとして利用することにしたという。 ICAの個展では、カバコフの壁を再生したこの「記憶(カバコフの壁)」のほかに、次のようなインスタレーションが行われた。 廃材の木片を横6列の帯状に展示し、また床に幾つもの巻物(いろいろな長さに広げられている)を置いた、「八千年の春、八千年の秋」(木材と巻物にはそれぞれ「is the now」経が書かれている。巻物のほうの経は、木材に経を書いた筆の絵の具を洗う途上で描かれた)。そして、さまざまな経の作品を、木材の自在棚や、その背後の床に並べた「経墓」。 そのさまざまな経の作品のなかには、先にあげた、流木や、年輪のある木に経を書き綴ったもの、丸い石の円頂から渦巻状に経を書き、裏にまわってもうひとつの円頂まで書いていくもの、さらにその二つの円頂を貫く穴をあけて循環性を強調したもの、またインク瓶などの小さな容器、電球、ポストカード、骨など、あらゆるものに経を書き付けたものが展示された。そこにはまた、一個一個が経文で覆われた百個の小さな石灰石と、先ほど述べた「種子経」の、一握りおよそ百粒の豆の群れが百握り分(一個一個の豆の表裏も経で覆われている)とが、それぞれ輪をなして床に配置されていた。 このような展示に見られる刈谷の作品の特徴は、ひとつには、呪術的・儀式的側面であろう。アラビア文字とも見紛うばかりの、うねりの激しく、そして細かく執拗にものに刻み込まれる文字は、それだけで、何か文字の持つ呪術性を思わせる。その経が書かれた日常品は、「もの」の次元を一気にとびこえて、物質性と非物質性の両者を合わせ持つ特別な性格を与えられるようだ。 また、部屋のなかに明確なプランを持ってものを「置いて」いく刈谷の展示は、アメリカ・インディアンなどさまざまな種族が行う秘儀の行為を模しているかのようである。それらのひとつひとつの配置の行為の裏には、刈谷によって与えられた意味が充満している。それゆえ、その意味のひとつひとつを詳しく解説しようとすると、刈谷の作品はいつも極度に膨大なテクストによってやっと語り尽くせるような幅に広さを持っていることを思い知らされることになる。しかしそれらの行為の意味は、もちろん刈谷ひとりが基本的におっていればよいものなのだ。刈谷の作品は、それ自体で完結した行為であり完結した意味を持つものであって、その点では、表現と受容という西洋的な美学の基本的な設定を崩してしまいかねないものである。刈谷の作品は、特定の意味や表現を受手に伝えるものではなく、その作品が世界内に存在するという、作品のありかたそのものを観客が受け入れることによって受容が成立するという点で、他にはあまりない、アートの新しい在り方を示唆するものである。 今回の水戸芸術館におけるインスタレーションは、基本的にこうした営みから生まれた空間であり、従来よりさらに拡大され表現性を増したプランを持っている。さまざまな部分から成っており、それらは「包帯とガーゼ、絆創膏の旗」「世界の壁」「赤十字の壁」「担架」「百体のからだを包むもの」「花とローソクとチョーク」「女の子とハゲタカ」「ボスニアの壁」「UNの壁」「砂袋の壁」「トルコ人の壁」「抗議の壁」「迷路のある教室」「修理中の机と椅子」「落書きの壁」などと呼ばれることになる。 そこではれいによって、黒板に書かれたさまざまな文字や、布に包まれた人体をはじめ、血痕や絆創膏がついたガーゼや担架や赤十字のマークのイメージ、人々の抗議の声を書き付けた板、棒、布、砂袋、国連の救援活動の物不足の様子、花やチョークによる追悼のイメージなど、さまざまな要素が重なって、見る者に強い印象を与えるだろう。 最後に観客が入る展示室は、勉強机と椅子が迷路のように並べられて行方を阻んでいる「迷路のある教室」と呼ばれる部分で、観る人に特に感慨を与えずにはいないだろう。それぞれの机の上には、宗教、環境憲法、国家、民族、人種、政治、City Water、Education、Food、Povertyなどという新聞活字を貼った黒板が置かれている。机の内側にはタイム、ライフ、ナショナルジオグラフィックなどの雑誌、ニューヨークタイムス、朝日新聞、社会・科学・世界地図、宗教書などが収まっている。一つの机の中には、懐中電灯が付けっ放しになって用済み電池を照らしている。四方の壁はさまざまな言葉の落書きで埋めつくされている。そして観客にとって手前に、望遠鏡のついた測量機が置かれ、その望遠鏡をのぞくと、前方の壁の中央にかけられた黒板の文字がみえる。その文字は「未来」である。 刈谷の作品は、世界の状況を「客観的」に眺めて表現しようというものではなく、この世界の状況を、自己の存在も含めたひとつのものとして把握しようとする点で、西欧の美術作品にはまったくない新しい視点をもたらすものであろう。こうした視点が、これからの世界を築いていく重要なものとなっていくのではないだろうか。 時空間を超越した刈谷の作品世界は、しかしそれゆえに、やがてわたしたちが「現在」として相対することになる「未来」に対する透徹した目を持っている。この静かな、しかし烈しい主張のこめられた彼の作品は、わたしたちの存在そのものを強く震撼させる、現代アートにまれな存在感を持っているといえるだろう。 倉林靖 「開放系」展カタログ評論文 水戸芸術館現代美術センター、1994年

  • Contemplating, Creation, Rebirth

    Article/ The Philadelphia Inquirer, newspaper, 3.18, 1990 The task that Hiroshi Kariya has set for himself is daunting- to express through art the unity of all people, places and things in the universe throughout the eons that the universe has existed. He has confronted this task for 13 years with the compulsive steadfastness of an Eastern mystic. Kariya’s art is not concerned with object-making. It attempts to stimulate in the observer a higher consciousness akin to a state of grace, and if you sit with his work for a while, you begin to sense that this is far from an outstanding objective. To recognize that objective, one needs at least a vague understanding of the philosophy of Kariya, who was born in Japan but who has lived in the United States since 1977. The best introduction to it is the wall text he has composed for his tripartite installation at the Institute of Contempora ry Art at the University of Pennsylvania, as part of the ICA’s ongoing “Investigations” series. The installation, which will continue through April 25, is called Sutra: One Thing in Everything, Everything in One Thing. The text, hand-printed on the wall in ink, introduces the section that occupies the upper gallery. It reads as follows: ABANDONED, BURIED, BURNT, AND/OR LOST In addition to the work being shown, there exists, somewhere in this universe, the work that I abandoned, buried, burned, and/or lost, which is not visible here. In Japan, Sutra writing is occasionally performed as a mass for the dead, a prayer for the recovery of sickly person, or as a prayer for a wish to be granted. The writers sacrifice their spirit and time for the sake of fulfilling their true wish. They commit themselves to spending a certain period of time while making an endeavor toward a certain amount of work. Sometimes a sutra is made by means other than writing. It may take the form of a silent prayer or action that is consciously repeated to obtain what is being focused upon. Some works are buried underground- for that which is nature’s return to nature, the universal system. Another reason is a message for the future. It is their undeniable knowledge to resurface and be recalled. Once every year, usually at the beginning of the year, some of these writings are gathered and burned to ashes of holiness. Thus, they receive a new beginning, a new life, and are reborn. They celebrate the incessant resurrection of nature. Hiroshi Kariya 1990 The key concepts in this passage are sutra and rebirth, the foundation of all three parts of Kariya’s installation. In Indian philosophy, a Sutra (from the Sanskrit word for thread) is a compilation of rules or principles that governs a particular aspect of life, For example, Kama sutra, the one most familiar to Westerners, codifies the conventions of physical love. Kariya adapts the concept as a group of words that conveys a fundamental idea about the world in a way that transcends time and place. The sutra underlying Kariya’s work, which he has written on various objects thousands of times since 1977, is “is the now”. To him, this inelegant phrase represents the immediacy of creation, and for him the act of creating is more important than the thing created. Kariya also believes that the material world is a continuum, that nothing is ever irrevocably destroyed, that the present can speak to the future just as the past speaks to the present, and that nature should be respected. Rebirth, which the installation expresses more prosaically as recycling, is a concept to be honored and encouraged. For Kariya, the installation represents a prolonged act of meditation on immortality. It is a contemplative work constructed with humble materials such as rocks, beans and driftwood, which have been energized through repetitive sutra inscriptions in ink and paint. The easiest part of the installation for an observer to grasp is Memory Wall, which occupies the west wall of the lower gallery. Memory Wall expresses the idea of rebirth literally; It’s constructed of the framing lumber and sheetrock that were used for the previous installation in the gallery, by Russian artist Ilya Kabakov. Kabakov’s installation consisted of a sheetrock wall that covered the south end of the lower gallery and a free-standing U-shaped wall in the center of the room. Kariya demolished these walls, but before he did, he sectioned them with chalklines into grids and marked with an identifying letter and number, much as archaeologists mark out a dig site. Kariya then assembled some of the larger chunks of the demolished Kabakov walls into a new, irregular wall. The leftover framing lumber is neatly stacked at the side, each piece numbered, and the debris, including even the dust from the demolition, is heaped behind it. Simple as it is, Memory Wall embodies the idea of reincarnation with surprising eloquence. Its post-Kabakov codings testify to its former existence, and its deliberately ragged appearance reminds the observer that it honors the spirit of reincarnation more than material perfection. Andy Wahol’s memory wooden fragments (These fragment was revealed after demolition, used for Andy Wahol’s first Museum solo exhibition, according to John, installer's memory) But it does have a practical aspect. Kariya has stamped and numbered 800 small pieces of sheetrock that the ICA will sell for a dollar each, with the proceeds to be used to recoup the cost of the Kbakov walls. On the opposite wall of the lower gallery, Kariya has installed a work-in-progress called 8000 Years Spring, 8000 Years Autumn. Forty-eight feet long by 8 feet high, it is made of pieces of used wood, each 2 feet long. The pieces are stacked on the wall in six rows. The stacks vary in height, and most of the wood is tinted green (for spring) or red and purple (for autumn). Most also are marked with a simulated script that represents Kariya’s “is the now” sutra. The sutra writing also covers a series of large scrolls open to various lengths on the floor in front of the wall. The visual effect of the wall array is something like an abstract codex or calendar. One recognizes it as a record of time passed, but it also alludes to the rhythmic cadence of language. Because sutra writing is abstract-it vaguely resembles Arabic or Persian-it communicates metaphorically, but its incantatory purpose is clear. ...The most ritualistic aspect of the total installation, Sutra Tomb, occupies the upper gallery. Here, Kariya displays a panoply of sutra objects-wooden discs (on which his sutra is written continuously in a spiral), pieces of driftwood, rocks, small jars of paint, and miscellaneous objects such as candles, seashells, postcards, bones and small paper scrolls. Some of these items are organized systematically on a sturdy, wooden free-standing shelf, while others are laid out on the floor behind it. The observer isn’t allowed to walk around or through the piece, so he or she experiences it as a succession of fragmented views. To the left, a 20-foot-wide ring of 100 limestone fragments, each covered with sutra writing, circles through an adjacent gallery and links up with the central array; to the right, a ring of 100 piles of white beans, totaling about 100, a “grasp” The arrangement does approximate an ancient burial chamber, where offerings are left to propitiate gods, but through the seeds it also implies dormancy and rebirth. Like 8000 Years, through, it cannot be deciphered by an outsider, nor do I think the artist intends that anyone should need to do so. Literal translation isn’t necessary; the spirit of the work is palpable from its form and constituent elements. If one were to come upon a similar display deep in a primeval forest or in a secluded mountain cave, as an artifact of a vanished civilization, one would understand its purpose intuitively. The most distinctive quality of Kariya’s work, aside from the patience and dedication it obviously demands, is that the process of making it-the “sacrifice” to which he refers in his wall text-is more consequential than the artifacts it produces. It is, in fact, its essence. By coming upon this installation after the artist has completed his labor (or at least interrupted it), the observer unfortunately misses the main event, which is the artist focusing intently on his task. This art isn’t intended as interpersonal communication; it describes a solitary, almost penitential search for communion with a cosmic unity. One judges the quality of such a quest much as one would evaluate a religious mission, by the artist’s persistence and dedication to his ideals. By this standard, Kariya has achieved the most meaningful goal to which art can aspire. Edward J. Sozanski, Philadelphia Inquirer, 3.18, 1990

  • "Now" is like the crest of a wave

    "Now" is like the crest of a wave, risen up from the infinite surface of the sea of space-time. It seems to happen quite often to us when we are children: we run into a complex philosophical problem, and fall into deep thought about it. In my case, once when I was thinking about some manga is something where, in general, as a prerequisite, the subjective viewpoint of individual humans is overcome: it is something depicted from a transcendental place, and all that this appearing person, this "I", can do is perform a part ! I will never become anyone apart from myself, and I can only view this world through my own eyes!" This was a great and sudden shock to me. It was the beginning of the indistinct sense I had of being able to conceptualize that each individual human consciousness is discontinuous. I still wonder if that experience was the first awakening of the various philosophical aporia within me, in relation to the awareness of one's own "self". However, on the other hand, given how long a human life is, perhaps human consciousness itself is something existing in an entirely other dimension: something connected to a different existence or awareness or space-time. I surreptitiously began to believe in this concept. Various religions (especially Buddhism or Eastern thought), and various philosophies such as, for example, Jungian psychology or the physics of the New New Scientists, are all continuations of the whispers of such possibilities. Accordingly, our consciousness - as something of the "here, now" - is the very material, three-dimensional world before our eyes; or, to consider it from an even more inclusive standpoint, namely from the surface of this certain world that is ever expanding and transcending the differences of space-time; it is something like the crest of a wave that has risen up in a mere brief moment/space in time. Thus, the concept is that through such a certain type of all-inclusive world" )and its fundamental underlying commonality), we are connected to different existences or awareness or space-times. The work "the now is" which Kariya Hiroshi continues to depict is the conscious realization that "I am here, now". At the same time, the fact that it is something that has appeared before our eyes means it belongs to the more all-inclusive world, connected to it: such is the appearance of this crest of a single wave. In this solo exhibition at Mizuma Art Gallery, his first in 21 years, "the now is" is like a hand-copied sutra in a single handful of speck-like seeds, within a frame the size of the palm of your hand affixed onto a transparent board. On its reverse can be seen transparent memo-pads used as blotting paper. The work as such as exhibited in quantities to completely cover the walls of the gallery space. (Within it are blended in works to which faces have been attached to these individual sutra, too.) Kariya in his notes describes these art works as a rice fields (perhaps because the "specks" here denote the grains of rice he uses). In my imagination, the appearance of the works all shown on display together, rather, connotes an endless sense of space-time: presenting the external appearance of the phenomenon of the "sea" itself. And on the surface of that sea, the individual small phenomena = the individual specks that rise to the surface before one's eyes. A seed contains, within its small internal space, the entirely of the process of the organism that shall grow out from it afterwards. A seed is a microcosm. And these seed sutras containing these microcosms extend further and further to transcend all walls, making up the form of a macrocosm. This continuous, unbroken work of Kariya's has developed over a long period of several decades. It takes the form of traces of an artwork that have themselves, over time, with instances of intervals and of playfulness, formed the puzzling beginnings to a question. Further, they are laced with a certain form of humour, and both a magnificence and richness that encompasses our own beings, too, so that the work absolutely appears to bear sensations of both affection and tranquility. I greatly look forward to this special opportunity to view Kariya Hiroshi's solo exhibition. Yasushi Kurabayashi, art critic

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  • Hiroshi Kariya | New York Based Artist | 2011 | Tokyo Designers Week

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They could re-assembled, it's a nature that resume to the original system again. ​ In the same manner, every one in "Creation" is a piece of one built into the function. ​ "Trash is God, dust is Buddha". There should be no unnecessary, nor no fragments with no place to go... says my grandpa. There must be a place where everything fits in a large puzzle. And anything is a piece of Gods, a large puzzle that keeps becoming an essential part of the mechanism. As I was a child, we've been told to such a manner from my grandfather. This work was born inspired by the catastrophe, large scale of earthquake hit, then Tsunami attacked in Tohoku, Japan, on March 11, 2011. As this work dedicated for the people who were shed home, people of deceased or missing, and with my missing relatives, friends. ​ This becomes a message to all spirit that they never varnished, yet they are one of those essential part of the systems, they exist in different form in this universe. ​ Images adopted here is from my hometown Kamaishi, first shocking image jumped in NHK broadcast video of Tsunami wave, and photo scene from my sis's destroyed home after Tsunami. →🇯🇵 HOME 2000's Mizuma+Kips 2020 Archetype 2020 Armory 2019 Mizuma 2018 Wounded Mother 2011 1990's ENSBA Paris 1998 Hakodate Museum 1996 Ise Art Found NY 1996 Painted Bride Art 1995 Art Tower Mito 1994 Ihara Ludens 1990 ICA Phila, PA 1990 Mizuma 97 Parallel Landscape Mizuma 96 Emptiness Mizuma 95 Chalkboard Sutra Mizuma 94 Sign of The Times In Memory of 1992 1980's MOMA PS1 1979 Gowanus Art 1981 Exit Art NY 1989 PRESS Olga Kopyrusha Omata Izumi Eric Mezil A.M. Weaver Miki Miyatake Y. Kurabayashi S. Watanabe W.J. Sozanski Others VIDEO PROJECT MISC1 BLOG Search Results More HOME 2000's Mizuma+Kips 2020 Archetype 2020 Armory 2019 Mizuma 2018 Wounded Mother 2011 1990's ENSBA Paris 1998 Hakodate Museum 1996 Ise Art Found NY 1996 Painted Bride Art 1995 Art Tower Mito 1994 Ihara Ludens 1990 ICA Phila, PA 1990 Mizuma 97 Parallel Landscape Mizuma 96 Emptiness Mizuma 95 Chalkboard Sutra Mizuma 94 Sign of The Times In Memory of 1992 1980's MOMA PS1 1979 Gowanus Art 1981 Exit Art NY 1989 PRESS Olga Kopyrusha Omata Izumi Eric Mezil A.M. Weaver Miki Miyatake Y. Kurabayashi S. Watanabe W.J. Sozanski Others VIDEO PROJECT MISC1 BLOG Search Results More 祈りの壁「傷ついた母とその子供たち」 ものがたり →🇺🇸 作品の全ての破片は散り散りになった粉塵も含め、もとに戻るための収まるべき場所がある。 ​ 「役立たない破片、不要な破片などというものは何ひとつない」 「捨てたのか、拾って来い」 「 組み立て直せば 、元通りになる」 ​ 「創造」の中にあるすべてのひとつひとつは、機能に組み込まれつづける「ひとつ」の破片である。その「ひとつ」はまた「創造」の全てを備えつゞけている。 ​ 「 瓦礫も神、塵も仏」。 不要な破片などない、行き場所の無い破片など何一つとてないのだ。 すべての断片は、大きなパズルに収まる場所を持っている。 彼らが存在から消えてしまうということ は決してない。 如何なものも、形が変わろうと大きな神仏の一片、仕組みの「要」だ、と幼少に聞いた祖父の声がずっと聴こえつづけている。 ​ この作品は、2011年3月11日東北に起こった大地震、大津波によって家を流され、亡くなられた、又は行方知れずになられた方々や、私の親戚、友人たちの霊との縁があって生まれた。 彼らは姿を変え存在している、というメッセージである。 ​ その日、最初に呼び込んできた驚きの映像は、釜石の偶然にもチリ地震津波以来から常設されていたカメラがとらえた「NHK緊急ニュース」である。容赦無く破壊され逆流する家々、粉々に砕かれる 建物、船、車、電信柱、家具、それらは私の故郷の痛々しい光景であった。 一部の掲載イメージは、津波によって破壊され残骸だけが残された妹の家のすさんだ記録写真である。 HOME 2000's Mizuma+Kips 2020 Archetype 2020 Armory 2019 Mizuma 2018 Wounded Mother 2011 1990's ENSBA Paris 1998 Hakodate Museum 1996 Ise Art Found NY 1996 Painted Bride Art 1995 Art Tower Mito 1994 Ihara Ludens 1990 ICA Phila, PA 1990 Mizuma 97 Parallel Landscape Mizuma 96 Emptiness Mizuma 95 Chalkboard Sutra Mizuma 94 Sign of The Times In Memory of 1992 1980's MOMA PS1 1979 Gowanus Art 1981 Exit Art NY 1989 PRESS Olga Kopyrusha Omata Izumi Eric Mezil A.M. Weaver Miki Miyatake Y. Kurabayashi S. Watanabe W.J. Sozanski Others VIDEO PROJECT MISC1 BLOG Search Results More IMG_1011 IMG_1010 IMG_1009 IMG_1008 IMG_1007 IMG_1006 IMG_1005 IMG_1004 IMG_1003v Show More HOME 2000's Mizuma+Kips 2020 Archetype 2020 Armory 2019 Mizuma 2018 Wounded Mother 2011 1990's ENSBA Paris 1998 Hakodate Museum 1996 Ise Art Found NY 1996 Painted Bride Art 1995 Art Tower Mito 1994 Ihara Ludens 1990 ICA Phila, PA 1990 Mizuma 97 Parallel Landscape Mizuma 96 Emptiness Mizuma 95 Chalkboard Sutra Mizuma 94 Sign of The Times In Memory of 1992 1980's MOMA PS1 1979 Gowanus Art 1981 Exit Art NY 1989 PRESS Olga Kopyrusha Omata Izumi Eric Mezil A.M. Weaver Miki Miyatake Y. Kurabayashi S. Watanabe W.J. Sozanski Others VIDEO PROJECT MISC1 BLOG Search Results More ABOUT ARTIST →🇯🇵 Hiroshi Kariya, born in Japan, is a New York-based meditation sculptor and painting artist. The artistic practice of free and diverse play, including sculpture, painting and installation, continues to explore meditation aesthetics with objects through random encounters with materials, reconstructed situations and spatial concepts. Kariya's art is based on the image, the structure of the Sanskrit word “sutra”. Translated literally, thread (to bind the pages of a book), code, sacred code or measurement line. He uses this concept to connect all relevant matters and problems, including the process and construction of physical work. ​ Kariya composed his Sutra, with three words "the now is”, his signature tool, the key element to contemplate, that all is, simultaneously one unit. It is to focus with events, objects, people, whole universe, or multiverse, including time, space and concept of all knowledge. ​ And these words are written millions of times on the works. Writings of three words, they convey an index, a sense of immediacy and the present tense, in which Kariya experiences through the endless creation of each work. ​ It is to examine the memory roots of his own belief system code through the components of his work. The destination of the grid that distinguishes the illusion from its reality What is "the" What is "now" What is "is" What is then the index "the" is from? to point what? now, then "is". ​ Kariya has exhibited early at the "Sound Show, special project: Meditation" 1979. Exit Art "Sutra", 1989. , 1990, then follows various institutions, museums and galleries. MOMA PS1 ICA Philadelphia "Sutra: One thing in everything: everything in one thing" Mizuma Art Gallery, Tokyo HOME 2000's Mizuma+Kips 2020 Archetype 2020 Armory 2019 Mizuma 2018 Wounded Mother 2011 1990's ENSBA Paris 1998 Hakodate Museum 1996 Ise Art Found NY 1996 Painted Bride Art 1995 Art Tower Mito 1994 Ihara Ludens 1990 ICA Phila, PA 1990 Mizuma 97 Parallel Landscape Mizuma 96 Emptiness Mizuma 95 Chalkboard Sutra Mizuma 94 Sign of The Times In Memory of 1992 1980's MOMA PS1 1979 Gowanus Art 1981 Exit Art NY 1989 PRESS Olga Kopyrusha Omata Izumi Eric Mezil A.M. Weaver Miki Miyatake Y. Kurabayashi S. Watanabe W.J. Sozanski Others VIDEO PROJECT MISC1 BLOG Search Results More ABOUT →🇺🇸 日本生まれの刈谷博は、ニューヨークを拠点とする瞑想彫刻、絵画作家。彫刻、絵画、インスタレーションを含む自由で多様な遊びの芸術的実践は、素材とのランダムな出会い、再構築された状況、空間的概念を分解浄化し、オブジェクトを用いた瞑想法を探求しつづけます。 刈谷の芸術は、サンスクリット語「スートラ」のイメージに基づいています。直訳すると糸(本のページを合冊するための紐)、暗号、神聖なコードまたは測定線を意味します。彼はこの概念を用いて物理的な仕事のプロセスと構造を含むすべての関連事項や諸問題を結び付け分解し考察しつゞけます。 刈谷のスートラ=お経は、彼の代名詞ともなったツールで「the now is」という三つの言葉で構成します。これは、全ての存在を一点に統合する黙示概念の指針・表現・実在であり、イベント、オブジェクト、人、小片、宇宙、概念、思い、迷いも含むすべてが同時に発し同時に帰結する瞑想の道具です。 そして、これらの言葉は作品に何百万回も記述されつゞけます。 三つの言葉で記述された物質・オブジェは、各作品の制作を通して刈谷が体験するインデックス(指針)表象性、現在性を表現しつゞけるのです。 それは、自身の信念体系コードのルーツを作品の構成要素に変換して検証しつゞけるという実践なのです。イリュージョンと現実とを見分けるグリッドの在りか、その先を 「the 」、「now 」、「is」、そして「the 」は何処から?何をという指針を示しつづける行為なのです。 刈谷は、早期1979年にMOMA PS1「サウンドショー、特別プロジェクト:瞑想」展。1990年に「スートラ」ひとつが全てに、全てが一つに展 ICA Philadelphia "Sutra: One thing in everything: everything in one thing", 1990,。以後は数多くの美術館やギャラリーにて展示。 SITE ​ PRESS 2000s 2020 ARCHETYPE 2018 O.KOPYRUSHA 1990s 1998 OMATA IZUMI 1998 ERIC MEZIL 1996 M.MIYATAKE 1995 A.M.WEAVER 1994 Y.KURABAYASHI 1994 S.WATANABE 1990 W.SOZANSKI 1980s 1979 OTHERS

  • Hiroshi Kariya | New York Based Artist | Article | Izumi Omata

    Top of Page OMATA IZUMI 小俣出美 FRENCH CONTACT Izumi Omata/ 1998 →🇯🇵 →🇫🇷 "Now, THEN, SO WHAT !" Art Historian ​ In the universe, "mass" and "ghost" are also reduced to perfection and fused and neutralized, and there is still the only standard that vibration affects violence and death. However, for those who do not have a direct "everyday" influence, they are unaware that, for example, the large number of victims of ethnic conflicts are suffering. These conflicts have occurred in all parts of the world since the end of the Cold War. It has been found that the phenomenon of sharing these sufferings also exists in Japan today. Still, it's not a true share. -Empathy of consciousness that allows you to experience the pain of others in your body and imagine the same emotions in the face of the fear of death-Isn't this always the first step towards creation? , Community / integration? It is certainly this consciousness that Hiroshi Kariya animates his work. He engraves the names of the genocide scenes being exercised in the world on a black slate plate, which has already healed in the fact that they become news articles and that the articles are cut out. It may have been slaughtered. However, Kariya physically perceived the weight of suffering by recording it in a format at the same time as his sutra, and tried to make this series of actions a prayer to relieve the pain that now tears our planet. is. It is immortal because it is not "coming" but "its present" its continuation. ​ Donaiyanen Exhibition Catalog French → English Izumi Omata, Art Historian, additional text In a medianed world, death and violence make sense only by quantity and horror. For example, the mass deaths caused by nationalist conflicts around the world after the conclusion of the Cold War are not perceived as pain by those who are not "directly" affected in their daily lives. But wasn't it a step towards the creation of a community to feel the pain of others and share their thoughts against the fear of death? Hiroshi Kariya's consciousness will depend on such points. The numerous death cases around the world on a small blackboard have already been medianed in that they are newspaper clippings. However, he suffers it as pain by writing it as a letter with his own sutra, and tries to make the chain of actions a prayer to heal the suffering of the present earth. There is no future (cannot be healed). "Now" continues there endlessly. After all, can we imagine the whereabouts and death of time, regardless of the representation or transcendental dimension of the other side? What can we share with others about pain and death? Is it possible to recognize the negative elements of things and suffering within the collective life? Only from such a question will the exit probably be opened. Donaiyanen Exhibition Catalog Japanese 2p107 SITE ​ PRESS 2000s 2020 ARCHETYPE 2018 O.KOPYRUSHA 1990s 1998 OMATA IZUMI 1998 ERIC MEZIL 1996 M.MIYATAKE 1995 A.M.WEAVER 1994 Y.KURABAYASHI 1994 S.WATANABE 1990 W.SOZANSKI 1980s 1979 OTHERS HOME 2000's Mizuma+Kips 2020 Archetype 2020 Armory 2019 Mizuma 2018 Wounded Mother 2011 1990's ENSBA Paris 1998 Hakodate Museum 1996 Ise Art Found NY 1996 Painted Bride Art 1995 Art Tower Mito 1994 Ihara Ludens 1990 ICA Phila, PA 1990 Mizuma 97 Parallel Landscape Mizuma 96 Emptiness Mizuma 95 Chalkboard Sutra Mizuma 94 Sign of The Times In Memory of 1992 1980's MOMA PS1 1979 Gowanus Art 1981 Exit Art NY 1989 PRESS Olga Kopyrusha Omata Izumi Eric Mezil A.M. Weaver Miki Miyatake Y. Kurabayashi S. Watanabe W.J. Sozanski Others VIDEO PROJECT MISC1 BLOG Search Results More 小俣出美/ 1998 →🇺🇸 →🇫🇷 「どないやねん !」 美術史家 宇宙では、「質量」と「幽霊」も完全さのもとに還元され融合中和される、暴力や死にもまだ唯一、波動が影響するという基準が存在する。しかし、直接的に「日常の営み」への影響力をうけられない人々にとっては、例えば民族間の紛争による多数の犠牲者たちが苦しんでいることなどは彼らには認識され得ない。これらの紛争は、冷戦の終結以来、世界のすべての地域で発生している。それら苦しみの共有という現象が今日の日本にも存在することが見出されています。それでも、それは真の共有ではありません。 ​ ー自分自身の身体で他の人の痛みを体験したり、死の恐怖に直面して同じ感情を想像することを可能にする意識の共感ーこれは常に創造への第一歩ではなかったのではないでしょうか、コミュニティ・統合という? 刈谷博が作品をアニメ化するのは確かにこの意識である。彼は黒いスレートの平板に世界で行使されている虐殺の現場の業の名称を刻み痕跡を残します。虐殺の業はそれらが報道記事になるということ、その記事が切り抜かれるという行為に於いて、既に癒やされているのかもしれません。しかし、刈谷は、自分のお経・経典として同時に書式で記録し残すことで、苦しみの重さを肉体的に実体験知覚する行為によって、この一連の実践を、今日、私たちの惑星を引き裂く苦痛を和らげるための祈りにしようとしてするのです。それは外界から「やって来ること」ようなものではなく「その現在の内にある」それらすべての持続の系であるから、不死なのである。 ​ 小俣出美 どないやねん展カタログ仏文→英文→和文 メディア化された世界では、死や暴力は量と凄惨さという画像の受容ということでしか意味を持たない。例えば冷戦締結後に世界各地で起こっている民族主義紛争による大量死は、日常に”直接の”影響を受けない人々にあっては、痛みとして感受されない。しかし他者の痛みをみずからの身に感じ、死の恐怖に抗して思いを共有することが、共同体の創建への一歩ではなかったか。刈谷博の意識はそうした点にかかるだろう。小さな黒板に記された世界中の夥しい死の事例は、新聞の切り抜きである点で、すでにメディア化されたものだ。しかし彼はそれを、独自の経文とともに文字として書きつけるという行為により、痛みとして身に受け、その行為の連鎖を、現在の地球が抱えた苦悩を癒す祈りにしようとする。 小俣出美 補稿 未来のない(癒しきれない)「いま」が延々とそこにはつづいているのだ。 ​ 結局のところ、向こう側という表象または超越的な次元によることなく、時間の行方や死を想定することは出来るのだろうか。痛みや死について、一体、何を他者と共有できるのだろうか。集団的な生の内部に、辛いものや醜いものや苦しみというネガティヴな要素を客観的に認め受け容れていけるのだろうか。そのような問いからしか、おそらく出口は開かれることはないのだろう。 ​ 小俣出美 どないやねん展カタログ和文2p107 GO TO →ERIC MEZIL HOME 2000's Mizuma+Kips 2020 Archetype 2020 Armory 2019 Mizuma 2018 Wounded Mother 2011 1990's ENSBA Paris 1998 Hakodate Museum 1996 Ise Art Found NY 1996 Painted Bride Art 1995 Art Tower Mito 1994 Ihara Ludens 1990 ICA Phila, PA 1990 Mizuma 97 Parallel Landscape Mizuma 96 Emptiness Mizuma 95 Chalkboard Sutra Mizuma 94 Sign of The Times In Memory of 1992 1980's MOMA PS1 1979 Gowanus Art 1981 Exit Art NY 1989 PRESS Olga Kopyrusha Omata Izumi Eric Mezil A.M. Weaver Miki Miyatake Y. Kurabayashi S. Watanabe W.J. Sozanski Others VIDEO PROJECT MISC1 BLOG Search Results More Izumi Omata/ 1998 →🇯🇵 →🇺🇸 "Et Maintenant !" Art Historian Dans un universe totalement médiatisé «masse» et «monstruosité» sont les seuls critéres qui donnent encore du sesns à la violence et à la mort. Mais pour celui qui n'en subit pas l'influence «directe» au quotidien, le nombre considérable de victimes dues par exemple aux conflits inter-ethniques ne peut être perçu comme une souffrance. Ces conflits se sont succédés dans toutes les régions du monde depuis la fin de la Guerre froide. Aujourd'hui, on découvre qu'ils existent aussi au Japon. Et pourtant, n'est-ce pas le partage - cette empathie permettant d'éprouver dans son propre corps la douleur de l'autre, ou de concevoir les mêmes sentiments face à la peur de la mort - qui a toujours été le premier pas vers la création d'une communauté ? C'est certainement cette conscience-là qu'il anime l'œuvre de Hiroshi Kariya. Il inscrit sur de petites ardoises noires le nom des lieux de nassacres perpétrés dans le monde, massacres déjà médiatisés dans la mesure où ils proviennent de coupures de presse. Mais Kariya, par l'acte de les consigner par écrit en même temps que ses propres soûtras, les perçoit physiquement avec leur poids de souffrances, et cherche à faire, de cet enchaînement d'actes, une priére pour soulager les tourments qui déchirent aujourd'hui notre planéte. Là peut se poursuivre continûment un «présent» sans «à venir», et donc inguérissable. ​ Dans un monde médian, la mort et la violence n'ont de sens que par la quantité et l'horreur. Par exemple, les morts massives causées par les conflits nationalistes dans le monde après la fin de la guerre froide ne sont pas perçues comme une douleur par ceux qui ne sont pas «directement» affectés dans leur vie quotidienne. Mais n'était-ce pas un pas vers la création d'une communauté pour ressentir la douleur des autres et partager leurs pensées contre la peur de la mort? La conscience d'Hiroshi Kariya dépendra de ces points. Les nombreux cas de décès dans le monde sur un petit tableau noir ont déjà été médianés en ce sens qu'il s'agit de coupures de journaux. Cependant, il en souffre en l'écrivant comme une lettre avec son propre sutra, et essaie de faire de la chaîne d'actions une prière pour guérir la souffrance de la terre actuelle. Il n'y a pas d'avenir (ne peut pas être guéri). «Maintenant» continue là sans fin. Après tout, pouvons-nous imaginer les allées et venues et la mort du temps, quelle que soit la représentation ou la dimension transcendantale de l'autre côté? Que pouvons-nous partager avec les autres sur la douleur et la mort? Est-il possible de reconnaître les éléments négatifs des choses et de la souffrance dans la vie collective? Ce n'est qu'à partir d'une telle question que la sortie sera probablement ouverte. "Et Maintenant !", La Communauté Survivra-t-elle? , catalog p100 La Création Contemporaine Au Japon École Nationale Supérieure Des Beaux-Arts, Paris, 1998 GO TO →ERIC MEZIL SITE 18 KOPYRUSHA 96 MIYATAKE 95 A.M.WEAVER 94 KURABAYASHI 90 SOZANSKI SITE ​ PRESS 2000s 2020 ARCHETYPE 2018 O.KOPYRUSHA 1990s 1998 OMATA IZUMI 1998 ERIC MEZIL 1996 M.MIYATAKE 1995 A.M.WEAVER 1994 Y.KURABAYASHI 1994 S.WATANABE 1990 W.SOZANSKI 1980s 1979 OTHERS

  • Hiroshi Kariya | New York Based Artist | 1998 | ENSBA

    TOP CHALKBOARD ERASERS Anchor 1 SPEC SITE ​ PRESS 2000s 2020 ARCHETYPE 2018 O.KOPYRUSHA 1990s 1998 OMATA IZUMI 1998 ERIC MEZIL 1996 M.MIYATAKE 1995 A.M.WEAVER 1994 Y.KURABAYASHI 1994 S.WATANABE 1990 W.SOZANSKI 1980s 1979 OTHERS ET MAINTENANT ! WE ARE THE CHALK WE ARE THE ERASER. WE ARE THE CHALKBOARD HOME 2000's Mizuma+Kips 2020 Archetype 2020 Armory 2019 Mizuma 2018 Wounded Mother 2011 1990's ENSBA Paris 1998 Hakodate Museum 1996 Ise Art Found NY 1996 Painted Bride Art 1995 Art Tower Mito 1994 Ihara Ludens 1990 ICA Phila, PA 1990 Mizuma 97 Parallel Landscape Mizuma 96 Emptiness Mizuma 95 Chalkboard Sutra Mizuma 94 Sign of The Times In Memory of 1992 1980's MOMA PS1 1979 Gowanus Art 1981 Exit Art NY 1989 PRESS Olga Kopyrusha Omata Izumi Eric Mezil A.M. Weaver Miki Miyatake Y. Kurabayashi S. Watanabe W.J. 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École Nationale Supériure Des Beaux-Arts, Paris, 1998 Twine and graffiti Title of work graffiti drawing by the artist during the period of installation (50 feet high) École Nationale Supériure Des Beaux-Arts, Paris, 1998 Twine and graffiti Title of work graffiti drawing by the artist during the period of installation (50 feet high) École Nationale Supériure Des Beaux-Arts, Paris, 1998 Artist's graffiti 50 feet high wall Title of work graffiti drawing by the artist during the period of installation (50 feet high) École Nationale Supériure Des Beaux-Arts, Paris, 1998 Drooped chalkboard and geaffiti Hook, twine, chalkboard and wall graffiti by the artist. École Nationale Supériure Des Beaux-Arts, Paris, 1998 Drooped chalkboard and string Hook, twine, chalkboard and wall graffiti by the artist. École Nationale Supériure Des Beaux-Arts, Paris, 1998 Drooped chalkboard and string Hook, twine, chalkboard and wall graffiti by the artist. École Nationale Supériure Des Beaux-Arts, Paris, 1998 Drooped chalkboard and string Hook, twine, chalkboard and wall graffiti by the artist. École Nationale Supériure Des Beaux-Arts, Paris, 1998 Eraser "Wounded City" Drooped eraser from the ceiling far high end. Eraser made of plaster, news title, torn cloth string. École Nationale Supériure Des Beaux-Arts, Paris, 1998 Show More SITE ​ PRESS 2000s 2020 ARCHETYPE 2018 O.KOPYRUSHA 1990s 1998 OMATA IZUMI 1998 ERIC MEZIL 1996 M.MIYATAKE 1995 A.M.WEAVER 1994 Y.KURABAYASHI 1994 S.WATANABE 1990 W.SOZANSKI 1980s 1979 OTHERS

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