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    • 「時刻」ときのしるし

      倉林靖 「開放系」カタログ評論文、水戸芸術館、1994年 刈谷博の個展『追悼1992』に初めて訪れたときの印象は鮮烈だった。展示会場は一階と三階に分かれていたが、まず「18面経」と題された一階に入ると、廃棄物を袋につめることによって作られた人体が何体も横たわっている。その人体は紐で梱包されており、そこにはチョークで雑然と英文が書きなぐられた黒板の断片が幾つも結び付けられている。何だか分からないが、なにか人間と社会に関わるのっぴきならないメッセージが封印されているのだ、と予感される。 「415 Palestinians」と題された三階に上がってみると、こんどは壁一面に、文字を書いた黒板がびっしり並べられている。「Killing」などといったスキャンダラスな文字が目につく。ときどき新聞記事の切れ端が貼ってあるものもある。殺人や暴動や戦争を扱ったものが多い。そこには人間の罪深い行為が文字の形をとって、作者の強烈なエネルギーによって封じ込められているように思えた。会場はこのうえなく静かだ。しかしそこには同時に無数の叫びが満ちていたのではないか。沈黙の叫び。空間に帯電された、業の深い人間の生の営み。 刈谷博は、このときの個展の副題を「報道絵画・彫刻展」と名付けている。なぜ「報道」なのか?彼は毎日読む新聞や雑誌の記事のなかから、あれらの言葉に巡り合って、書きつける。なによりもまず真実を伝えようという意図から発した言葉たち。それゆえに、彼の作品は「報道」絵画・彫刻なのだ。毎日、世界のどこかで発生している強い憤り、深い悲しみ、それらを彼はアートの形でそのまま見る者に伝えたいと欲するのである。 刈谷の作品を流れる思想はきわめてユニークであり、そしてある意味では、やや難解である。 「私の作品のテーマは、書く(刻す)という行為であり、その過程であり、そのイメージにある。」「この作品のテーマは生きる(刻す)という行為であり、その過程であり、そのイメージにある」と彼は言う。そして、この「書く(=生きる)」という行為の背後には、仏教でいうところの「写経」という考え方がある。彼は、自分の作品のことを「"Sutra",言い換えると『お経』であるという。「"Sutra"とは梵語で糸または紐の意で、生きるための教えを書いたものを編纂するのに用いた"綴じ紐"という意味である」。 写経とは、経文をかきうつすことにより、死者への供養や、願いや祈りを捧げることで、もちろん経文を後世に伝えるという意味もあるが、むしろ写す者の精神や彼をとりまく世界を平安にする目的のほうが大きいと思われる。写された経文という、行為の結果よりも、写すという行為そのもののほうが尊ばれるという、われわれから見れば一種の逆転が起こるのである。ここにおいて、書くこと=生きることとなり、行為は祈りとなる。 仏教的世界観に照らしてみれば、この世界で生起する一切の出来事は、また一人一人の個人とも「因縁」という形で密接につながっている。世界の森羅万象、万物が、連鎖する原因と結果のなかで結ばれているのである。だから、いま世界で起こっている暴力、戦争、悲惨、あらゆる行為が、実は個人の欲望と結ばれているのである。世界の出来事に個人は責任の一端を持ち、そして、世界を、自らの欲望が生んだ「業」の結果として見る必要が出てくる。これは、西洋世界が持ちえない独自な世界観・人生観であり倫理観ではあるまいか。刈谷はこうして、世界で起こっている事象に対して、自らの精神からの祈りを捧げるのである。 こうした考えの背後には、やはり、物心二元論・主客二元論を超えた東洋の一元的な思考があるといえるだろう。個人の「精神」と、世界で生起する「事象」とは、分かち難く結ばれている。そして本来、世界とは、時空を超え、時空が統一された世界を本質とするものなのである。しかしこの物質世界においては、逆に、一切は「今」という時間のなかで生起する。そこで刈谷は、今生きてここに在る、という営みの表現として、「一句蓮経」を捧げる。1977年に日本から渡米して以来、毎日さまざまなものに書き付けているのだという。「the now is the now is the now is the now is the ...」と、その経は、無限の円環を広げていく。 刈谷はその77年以来、今日まで、さまざまな「経」を行っている。それらは、経が書かれる素材などから、さまざまな名で呼ばれている。「流木経」「年輪経」「石想経」「渦巻経」「廃材供養経」「種子経」「合掌経」「呼吸経」などと。たとえば「種子経」は、「一日に一度一握り分の豆にお経を書いたもの」である。 そして刈谷にとってもうひとつの経が、新聞や雑誌に出ていた記事の言葉を黒板にかいていく、あるいは切り抜いて貼っていく「黒板経」である。こうして刈谷の作品は、「つくる」という意識よりもむしろ、日々の平凡な営みのなかから出来上がってくる。まさに結果よりも行為のほうに重点が置かれているのである。また、作品に使われた素材はすべて廃棄物・廃材であり、それらは展示のあとはまた別の作品に使われたり、別な用途に使うためにとっておかれる。この世界における、あるいは物質世界と非物質世界とのあいだにおける「もの」の、もしくは「生命」の循環、死と再生を表すものであろう。そして同時に、展覧会場に置かれた廃棄物は、今日の物質世界のなかではそれらが文字通り「死物」と化するほかはないこと、今日の「死」がこのように陰惨な光景であること、なども告げているのである。 こうして刈谷の作品は、「今」の世界が生起させる、さまざまな現象が、物質と言語によってあらわされた場となる。「追悼1992」の場合には、一階にあった18体の人体はそれぞれ「ソマリ人」「ソマリア」「三人のトルコ人」「寺院」「カーディスタンと呼ばれる国」「ロシアはロシア」「アンゴラ」「エルサルバドル」「カンボジア」「からだを包むもの」「ボスニア」「ホームレス」「放射能」「廃棄」「アジアエイズ」「母」と呼ばれる。「母」は、この年亡くなった刈谷の母をあらわし、個人的な体験における「死」と世界で起こっている「死」の関連がここで表現された(「母」のそばにあった付けっぱなしのテレビは、今日から明日への持続性を示すもの)。ここに書かれた文字は、それぞれの人体に関連する新聞記事からの引用である。たとえば「三人のトルコ人」は、ネオ・ナチによって三人のトルコ人が殺害された記事から生まれた。 廃材を使って物質の生々流転を表現すること、およびそこに経のさまざまな作品を配して、時間が悠久のものであり同時に現在性としてのみ顕在するということを表現したものとして、1990年にペンシルバニア大学のInstitute of Contemporary Art (ICA) Philadelphia で開かれた個展がある。そこでは、以前に同じ場所で行われたイリヤ・カバコフの個展のあとに出た廃材を利用した。物質の循環という思考から生まれた典型例としてのインスタレーションである。すなわち、カバコフのインスタレーションで特設された壁を取り壊し、その廃材の木材と漆喰版を使ったのである。 取り壊しの際、刈谷はまず壁に格子状の線を引き、区画ごとに文字と番号による表示を書き込んだ。彼は大きな断片によって壁を再構築し、また木材は大きさごとに整理して脇に並べ、果ては細かい断片や屑、埃さえももれなく利用し並べるのである。さらに、細かい漆喰の破片800個に通し番号と捺印を施し、それをICAが一人につき一個一ドル紙幣のみで販売し、その売り上げはカバコフの壁の材料費の埋め合わせとして利用することにしたという。 ICAの個展では、カバコフの壁を再生したこの「記憶(カバコフの壁)」のほかに、次のようなインスタレーションが行われた。 廃材の木片を横6列の帯状に展示し、また床に幾つもの巻物(いろいろな長さに広げられている)を置いた、「八千年の春、八千年の秋」(木材と巻物にはそれぞれ「is the now」経が書かれている。巻物のほうの経は、木材に経を書いた筆の絵の具を洗う途上で描かれた)。そして、さまざまな経の作品を、木材の自在棚や、その背後の床に並べた「経墓」。 そのさまざまな経の作品のなかには、先にあげた、流木や、年輪のある木に経を書き綴ったもの、丸い石の円頂から渦巻状に経を書き、裏にまわってもうひとつの円頂まで書いていくもの、さらにその二つの円頂を貫く穴をあけて循環性を強調したもの、またインク瓶などの小さな容器、電球、ポストカード、骨など、あらゆるものに経を書き付けたものが展示された。そこにはまた、一個一個が経文で覆われた百個の小さな石灰石と、先ほど述べた「種子経」の、一握りおよそ百粒の豆の群れが百握り分(一個一個の豆の表裏も経で覆われている)とが、それぞれ輪をなして床に配置されていた。 このような展示に見られる刈谷の作品の特徴は、ひとつには、呪術的・儀式的側面であろう。アラビア文字とも見紛うばかりの、うねりの激しく、そして細かく執拗にものに刻み込まれる文字は、それだけで、何か文字の持つ呪術性を思わせる。その経が書かれた日常品は、「もの」の次元を一気にとびこえて、物質性と非物質性の両者を合わせ持つ特別な性格を与えられるようだ。 また、部屋のなかに明確なプランを持ってものを「置いて」いく刈谷の展示は、アメリカ・インディアンなどさまざまな種族が行う秘儀の行為を模しているかのようである。それらのひとつひとつの配置の行為の裏には、刈谷によって与えられた意味が充満している。それゆえ、その意味のひとつひとつを詳しく解説しようとすると、刈谷の作品はいつも極度に膨大なテクストによってやっと語り尽くせるような幅に広さを持っていることを思い知らされることになる。しかしそれらの行為の意味は、もちろん刈谷ひとりが基本的におっていればよいものなのだ。刈谷の作品は、それ自体で完結した行為であり完結した意味を持つものであって、その点では、表現と受容という西洋的な美学の基本的な設定を崩してしまいかねないものである。刈谷の作品は、特定の意味や表現を受手に伝えるものではなく、その作品が世界内に存在するという、作品のありかたそのものを観客が受け入れることによって受容が成立するという点で、他にはあまりない、アートの新しい在り方を示唆するものである。 今回の水戸芸術館におけるインスタレーションは、基本的にこうした営みから生まれた空間であり、従来よりさらに拡大され表現性を増したプランを持っている。さまざまな部分から成っており、それらは「包帯とガーゼ、絆創膏の旗」「世界の壁」「赤十字の壁」「担架」「百体のからだを包むもの」「花とローソクとチョーク」「女の子とハゲタカ」「ボスニアの壁」「UNの壁」「砂袋の壁」「トルコ人の壁」「抗議の壁」「迷路のある教室」「修理中の机と椅子」「落書きの壁」などと呼ばれることになる。 そこではれいによって、黒板に書かれたさまざまな文字や、布に包まれた人体をはじめ、血痕や絆創膏がついたガーゼや担架や赤十字のマークのイメージ、人々の抗議の声を書き付けた板、棒、布、砂袋、国連の救援活動の物不足の様子、花やチョークによる追悼のイメージなど、さまざまな要素が重なって、見る者に強い印象を与えるだろう。 最後に観客が入る展示室は、勉強机と椅子が迷路のように並べられて行方を阻んでいる「迷路のある教室」と呼ばれる部分で、観る人に特に感慨を与えずにはいないだろう。それぞれの机の上には、宗教、環境憲法、国家、民族、人種、政治、City Water、Education、Food、Povertyなどという新聞活字を貼った黒板が置かれている。机の内側にはタイム、ライフ、ナショナルジオグラフィックなどの雑誌、ニューヨークタイムス、朝日新聞、社会・科学・世界地図、宗教書などが収まっている。一つの机の中には、懐中電灯が付けっ放しになって用済み電池を照らしている。四方の壁はさまざまな言葉の落書きで埋めつくされている。そして観客にとって手前に、望遠鏡のついた測量機が置かれ、その望遠鏡をのぞくと、前方の壁の中央にかけられた黒板の文字がみえる。その文字は「未来」である。 刈谷の作品は、世界の状況を「客観的」に眺めて表現しようというものではなく、この世界の状況を、自己の存在も含めたひとつのものとして把握しようとする点で、西欧の美術作品にはまったくない新しい視点をもたらすものであろう。こうした視点が、これからの世界を築いていく重要なものとなっていくのではないだろうか。 時空間を超越した刈谷の作品世界は、しかしそれゆえに、やがてわたしたちが「現在」として相対することになる「未来」に対する透徹した目を持っている。この静かな、しかし烈しい主張のこめられた彼の作品は、わたしたちの存在そのものを強く震撼させる、現代アートにまれな存在感を持っているといえるだろう。 倉林靖 「開放系」展カタログ評論文 水戸芸術館現代美術センター、1994年

    • Contemplating, Creation, Rebirth

      Article/ The Philadelphia Inquirer, newspaper, 3.18, 1990 The task that Hiroshi Kariya has set for himself is daunting- to express through art the unity of all people, places and things in the universe throughout the eons that the universe has existed. He has confronted this task for 13 years with the compulsive steadfastness of an Eastern mystic. Kariya’s art is not concerned with object-making. It attempts to stimulate in the observer a higher consciousness akin to a state of grace, and if you sit with his work for a while, you begin to sense that this is far from an outstanding objective. To recognize that objective, one needs at least a vague understanding of the philosophy of Kariya, who was born in Japan but who has lived in the United States since 1977. The best introduction to it is the wall text he has composed for his tripartite installation at the Institute of Contempora ry Art at the University of Pennsylvania, as part of the ICA’s ongoing “Investigations” series. The installation, which will continue through April 25, is called Sutra: One Thing in Everything, Everything in One Thing. The text, hand-printed on the wall in ink, introduces the section that occupies the upper gallery. It reads as follows: ABANDONED, BURIED, BURNT, AND/OR LOST In addition to the work being shown, there exists, somewhere in this universe, the work that I abandoned, buried, burned, and/or lost, which is not visible here. In Japan, Sutra writing is occasionally performed as a mass for the dead, a prayer for the recovery of sickly person, or as a prayer for a wish to be granted. The writers sacrifice their spirit and time for the sake of fulfilling their true wish. They commit themselves to spending a certain period of time while making an endeavor toward a certain amount of work. Sometimes a sutra is made by means other than writing. It may take the form of a silent prayer or action that is consciously repeated to obtain what is being focused upon. Some works are buried underground- for that which is nature’s return to nature, the universal system. Another reason is a message for the future. It is their undeniable knowledge to resurface and be recalled. Once every year, usually at the beginning of the year, some of these writings are gathered and burned to ashes of holiness. Thus, they receive a new beginning, a new life, and are reborn. They celebrate the incessant resurrection of nature. Hiroshi Kariya 1990 The key concepts in this passage are sutra and rebirth, the foundation of all three parts of Kariya’s installation. In Indian philosophy, a Sutra (from the Sanskrit word for thread) is a compilation of rules or principles that governs a particular aspect of life, For example, Kama sutra, the one most familiar to Westerners, codifies the conventions of physical love. Kariya adapts the concept as a group of words that conveys a fundamental idea about the world in a way that transcends time and place. The sutra underlying Kariya’s work, which he has written on various objects thousands of times since 1977, is “is the now”. To him, this inelegant phrase represents the immediacy of creation, and for him the act of creating is more important than the thing created. Kariya also believes that the material world is a continuum, that nothing is ever irrevocably destroyed, that the present can speak to the future just as the past speaks to the present, and that nature should be respected. Rebirth, which the installation expresses more prosaically as recycling, is a concept to be honored and encouraged. For Kariya, the installation represents a prolonged act of meditation on immortality. It is a contemplative work constructed with humble materials such as rocks, beans and driftwood, which have been energized through repetitive sutra inscriptions in ink and paint. The easiest part of the installation for an observer to grasp is Memory Wall, which occupies the west wall of the lower gallery. Memory Wall expresses the idea of rebirth literally; It’s constructed of the framing lumber and sheetrock that were used for the previous installation in the gallery, by Russian artist Ilya Kabakov. Kabakov’s installation consisted of a sheetrock wall that covered the south end of the lower gallery and a free-standing U-shaped wall in the center of the room. Kariya demolished these walls, but before he did, he sectioned them with chalklines into grids and marked with an identifying letter and number, much as archaeologists mark out a dig site. Kariya then assembled some of the larger chunks of the demolished Kabakov walls into a new, irregular wall. The leftover framing lumber is neatly stacked at the side, each piece numbered, and the debris, including even the dust from the demolition, is heaped behind it. Simple as it is, Memory Wall embodies the idea of reincarnation with surprising eloquence. Its post-Kabakov codings testify to its former existence, and its deliberately ragged appearance reminds the observer that it honors the spirit of reincarnation more than material perfection. Andy Wahol’s memory wooden fragments (These fragment was revealed after demolition, used for Andy Wahol’s first Museum solo exhibition, according to John, installer's memory) But it does have a practical aspect. Kariya has stamped and numbered 800 small pieces of sheetrock that the ICA will sell for a dollar each, with the proceeds to be used to recoup the cost of the Kbakov walls. On the opposite wall of the lower gallery, Kariya has installed a work-in-progress called 8000 Years Spring, 8000 Years Autumn. Forty-eight feet long by 8 feet high, it is made of pieces of used wood, each 2 feet long. The pieces are stacked on the wall in six rows. The stacks vary in height, and most of the wood is tinted green (for spring) or red and purple (for autumn). Most also are marked with a simulated script that represents Kariya’s “is the now” sutra. The sutra writing also covers a series of large scrolls open to various lengths on the floor in front of the wall. The visual effect of the wall array is something like an abstract codex or calendar. One recognizes it as a record of time passed, but it also alludes to the rhythmic cadence of language. Because sutra writing is abstract-it vaguely resembles Arabic or Persian-it communicates metaphorically, but its incantatory purpose is clear. ...The most ritualistic aspect of the total installation, Sutra Tomb, occupies the upper gallery. Here, Kariya displays a panoply of sutra objects-wooden discs (on which his sutra is written continuously in a spiral), pieces of driftwood, rocks, small jars of paint, and miscellaneous objects such as candles, seashells, postcards, bones and small paper scrolls. Some of these items are organized systematically on a sturdy, wooden free-standing shelf, while others are laid out on the floor behind it. The observer isn’t allowed to walk around or through the piece, so he or she experiences it as a succession of fragmented views. To the left, a 20-foot-wide ring of 100 limestone fragments, each covered with sutra writing, circles through an adjacent gallery and links up with the central array; to the right, a ring of 100 piles of white beans, totaling about 100, a “grasp” The arrangement does approximate an ancient burial chamber, where offerings are left to propitiate gods, but through the seeds it also implies dormancy and rebirth. Like 8000 Years, through, it cannot be deciphered by an outsider, nor do I think the artist intends that anyone should need to do so. Literal translation isn’t necessary; the spirit of the work is palpable from its form and constituent elements. If one were to come upon a similar display deep in a primeval forest or in a secluded mountain cave, as an artifact of a vanished civilization, one would understand its purpose intuitively. The most distinctive quality of Kariya’s work, aside from the patience and dedication it obviously demands, is that the process of making it-the “sacrifice” to which he refers in his wall text-is more consequential than the artifacts it produces. It is, in fact, its essence. By coming upon this installation after the artist has completed his labor (or at least interrupted it), the observer unfortunately misses the main event, which is the artist focusing intently on his task. This art isn’t intended as interpersonal communication; it describes a solitary, almost penitential search for communion with a cosmic unity. One judges the quality of such a quest much as one would evaluate a religious mission, by the artist’s persistence and dedication to his ideals. By this standard, Kariya has achieved the most meaningful goal to which art can aspire. Edward J. Sozanski, Philadelphia Inquirer, 3.18, 1990

    • "Now" is like the crest of a wave

      "Now" is like the crest of a wave, risen up from the infinite surface of the sea of space-time. It seems to happen quite often to us when we are children: we run into a complex philosophical problem, and fall into deep thought about it. In my case, once when I was thinking about some manga is something where, in general, as a prerequisite, the subjective viewpoint of individual humans is overcome: it is something depicted from a transcendental place, and all that this appearing person, this "I", can do is perform a part ! I will never become anyone apart from myself, and I can only view this world through my own eyes!" This was a great and sudden shock to me. It was the beginning of the indistinct sense I had of being able to conceptualize that each individual human consciousness is discontinuous. I still wonder if that experience was the first awakening of the various philosophical aporia within me, in relation to the awareness of one's own "self". However, on the other hand, given how long a human life is, perhaps human consciousness itself is something existing in an entirely other dimension: something connected to a different existence or awareness or space-time. I surreptitiously began to believe in this concept. Various religions (especially Buddhism or Eastern thought), and various philosophies such as, for example, Jungian psychology or the physics of the New New Scientists, are all continuations of the whispers of such possibilities. Accordingly, our consciousness - as something of the "here, now" - is the very material, three-dimensional world before our eyes; or, to consider it from an even more inclusive standpoint, namely from the surface of this certain world that is ever expanding and transcending the differences of space-time; it is something like the crest of a wave that has risen up in a mere brief moment/space in time. Thus, the concept is that through such a certain type of all-inclusive world" )and its fundamental underlying commonality), we are connected to different existences or awareness or space-times. The work "the now is" which Kariya Hiroshi continues to depict is the conscious realization that "I am here, now". At the same time, the fact that it is something that has appeared before our eyes means it belongs to the more all-inclusive world, connected to it: such is the appearance of this crest of a single wave. In this solo exhibition at Mizuma Art Gallery, his first in 21 years, "the now is" is like a hand-copied sutra in a single handful of speck-like seeds, within a frame the size of the palm of your hand affixed onto a transparent board. On its reverse can be seen transparent memo-pads used as blotting paper. The work as such as exhibited in quantities to completely cover the walls of the gallery space. (Within it are blended in works to which faces have been attached to these individual sutra, too.) Kariya in his notes describes these art works as a rice fields (perhaps because the "specks" here denote the grains of rice he uses). In my imagination, the appearance of the works all shown on display together, rather, connotes an endless sense of space-time: presenting the external appearance of the phenomenon of the "sea" itself. And on the surface of that sea, the individual small phenomena = the individual specks that rise to the surface before one's eyes. A seed contains, within its small internal space, the entirely of the process of the organism that shall grow out from it afterwards. A seed is a microcosm. And these seed sutras containing these microcosms extend further and further to transcend all walls, making up the form of a macrocosm. This continuous, unbroken work of Kariya's has developed over a long period of several decades. It takes the form of traces of an artwork that have themselves, over time, with instances of intervals and of playfulness, formed the puzzling beginnings to a question. Further, they are laced with a certain form of humour, and both a magnificence and richness that encompasses our own beings, too, so that the work absolutely appears to bear sensations of both affection and tranquility. I greatly look forward to this special opportunity to view Kariya Hiroshi's solo exhibition. Yasushi Kurabayashi, art critic

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    • Hiroshi Kariya | New York Based Artist |

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Exit Art ICA Phil HOME 2000's 1990's 1980's PRESS VIDEO PROJECT BLOG Search Results More 1980's Exit Art+Others ​ ​ ​ 1970's ​ Kariya's 1st New York FLUXUS studio: 359 Canal Studio: former studio of Nam Jun Paik, Ay-O, the place FLUXUS was performed. Dick Higgins studio was downstairs. More HOME 2000's 1990's 1980's PRESS VIDEO PROJECT BLOG Search Results More ​ 2020 Mizuma+Kips, NY Installation "Archetype" 3/4-4/5/20, COVID-19 interrupted The Show. 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Acrylic on plywood, Exit Art , 1989 ​ 1989 HOME 2000's 1990's 1980's PRESS VIDEO PROJECT BLOG Search Results More HOME 2000's 1990's 1980's PRESS VIDEO PROJECT BLOG Search Results More ​ 1997 Parallel Landscape, 1997 We are the chalk, We are the eraser, We are the chalkboard HOME 2000's 1990's 1980's PRESS VIDEO PROJECT BLOG Search Results More ​ 1970's HOME 2000's 1990's 1980's PRESS VIDEO PROJECT BLOG Search Results More ​ 1970's HOME 2000's 1990's 1980's PRESS VIDEO PROJECT BLOG Search Results More HOME 2000's 1990's 1980's PRESS VIDEO PROJECT BLOG Search Results More ​ 1980's HOME 2000's 1990's 1980's PRESS VIDEO PROJECT BLOG Search Results More HOME 2000's 1990's 1980's PRESS VIDEO PROJECT BLOG Search Results More HOME 2000's 1990's 1980's PRESS VIDEO PROJECT BLOG Search Results More HOME 2000's 1990's 1980's PRESS VIDEO PROJECT BLOG Search Results More Rocket Attacks Attacks In Afghan Village Photo banner, 4'x8', Image:B1 NYTimes 10/24/2001 Mizuma Art Gallery, 2018 HOME 2000's 1990's 1980's PRESS VIDEO PROJECT BLOG Search Results More Rocket Attacks Attacks In Afghan Village Photo banner | 4'x8' | Installation Process Mizuma Art Gallery | Tokyo | 2018 HOME 2000's 1990's 1980's PRESS VIDEO PROJECT BLOG Search Results More HOME 2000's 1990's 1980's PRESS VIDEO PROJECT BLOG Search Results More HOME 2000's 1990's 1980's PRESS VIDEO PROJECT BLOG Search Results More HOME 2000's 1990's 1980's PRESS VIDEO PROJECT BLOG Search Results More 6 Video Seed Sutra 7 More? The Armory Show 2019 3 1990's ICA Philadelphia 5 Blog BraBraBra 4 2000's ENSBA, Paris 2 1970-80 MOMA PS1 1 About Hiroshi Kariya Mizuma Art Gallery | 2018 | Rendering HOME 2000's 1990's 1980's PRESS VIDEO PROJECT BLOG Search Results More HOME 2000's 1990's 1980's PRESS VIDEO PROJECT BLOG Search Results More ABOUT "What do you say you know about it other than your sensory experience?" Pavlovsky enlightens. With a career of more than 40 years in the United States, Hiroshi Kariya studies and verifies the illusions of his own archetype theory, semiotics, and ontology using the form of contemporary art. Kariya's work begins with the intention of the three letters "the now is". He asks the existence beyond that intention. Existence is shown in a phenomenon glimpsed by its own explanation. Its essence is nothing more than an explanation of the physical world. But if manifestation is not a departure from the essence. The intention of the three letters and the act of describing them in the object should be a manifestation of their essence. This is because they are happening at the same time. The illusion of the resulting work seems to be the act of continuing to verify the archetypes of the support, structure and existence that never appear on the surface, rather than seeking it on the surface. ​ The three letters are intended to indicate existence. Intention is also a thread. It is a structure in which each word explains each other. It is the movement, the art of the Trinity that creates the concept and the existence of the work continues to be the index of existence. ​ ① The / Index ② Now / One simultaneity ③ Is / Act exists Kariya describes this "the now is" in the encounter with the object. The description differs depending on the object and is repeated to generate the "the now is" sutra. They are arranged in what are called time, place, and space, and are presented as the time of production. The three letters are a tool as a code that connects all the works. An illusion that connects events, objects, and people. Illusion is also "what do you know about it?" ​ The primal stage of the work were exhibited in his solo exhibition at Exit Art, NY in 1989, and following solo exhibition "SUTRA" at ICA Philadelphia, in 1990. “Sutra” Sanskrit; a string or string, a string that binds a book, or a scripture. Sacred code, code, or line to measure. ​ Kariya has exhibited at the "Sound Show, for the special project: Meditation" 1979. , 1989. , 1990, " ENSBA, Paris, 1998, lectures and exhibitions at other organizations, public institutions, museums, galleries. MOMA PS1 Exit Art "Sutra" ICA Philadelphia "Sutra: One thing in everything: everything in one thing" Donaiyanen" HOME 2000's 1990's 1980's PRESS VIDEO PROJECT BLOG Search Results More ABOUT 「あなたの感覚の経験以外の方法で、あなたはそのことについて何を知っていると云うのか?」とパブロフスキーが啓発した。在米40年以上のキャリアで、刈谷博は現代美術の形式を用いて独自の元型論、記号論、存在論のイリュージョンを研究し検証しつづける。 ​ 刈谷の作品は、三文字「the now is」を意図することで始まる。その意図を存在の記号下で検証しつづける行為である。存在はそれ自身の説明によって垣間見られる現象に示される。その本質は物象世界の説明の域に止まるにしか過ぎない。だが、現れとは本質から離れるものではない、とするならば。三文字を意図すること、オブジェに記述する行為もその本質の現れなはずである。これ等は同時に起こっているからである。 その結果としての作品のイリュージョンを表面に求めるより、むしろ表面に決して現れてはこない支持体と構造と存在の元型を検証しつづける行為=実践の秘密を提示するのである。 ​ 三文字は存在を指し示す意図である。意図とは糸である。単語それぞれがそれぞれを説明し合う構造である。その運動であり、概念を生成し、作品存在が存在のインデックスでありつづける三位一体の創造構造論である。 ​ ①The/ 指し示す ②Now/ 現在同時性 ③Is/ 不滅存在 ​ 刈谷は、オブジェとの出逢いにこの「the now is」を記述する。記述はオブジェによって異なり、繰り返され「the now is」経を生成する。それらは時、場、空間と呼ばれる説明を以って配列され制作の時の刻として提示される。 三文字は、すべての作品をつなぐ符号と云う道具である。イベント、オブジェクト、および人々が一つにつながるイリュージョンである。イリュージョンとはまた「あなたはその元の何を素にしてイリュージョンというのか」と云う啓発である。 仕事は現在進行形の「経」であり、その初期作品が、1989年Exit Art, NYにて、翌年 に於ける個展「SUTRA」で展示された。 1990年にICAフィラデルフィア 「経」サンスクリット語;糸、または紐、本、または教典などを綴じる紐。 刈谷は渡米後「 、1979。 1989。 1990。 Paris, 1989, 他各諸団体、公共機関、美術館、ギャラリーなどで講演、展示。 神聖なと呼ばれるコード、暗号、またはこれらを測り定める線。 SOUND SHOW」MOMA PS1 「スートラ」EXIT ART, 「スートラ」ICA Philadelphia , 「どないやねん」 ENSBA , SITE ​ PRESS 2000s 2020 ARCHETYPE 2018 O.KOPYRUSHA 1990s 1998 OMATA IZUMI 1998 ERIC MEZIL 1996 M.MIYATAKE 1995 A.M.WEAVER 1994 Y.KURABAYASHI 1994 S.WATANABE 1990 W.SOZANSKI OTHERS

    • Hiroshi Kariya | New York Based Artist | Article | W.J. Sozanski

      Top of Page SOZANSKI ソザンスキ CONTACT Contemplating, Creation, Rebirth Sozanski/1990 By Edward J. Sozanski Article/ The Philadelphia Inquirer, newspaper, 3.18, 1990 The task that Hiroshi Kariya has set for himself is daunting- to express through art the unity of all people, places and things in the universe throughout the eons that the universe has existed. He has confronted this task for 13 years with the compulsive steadfastness of an Eastern mystic. Kariya’s art is not concerned with object-making. It attempts to stimulate in the observer a higher consciousness akin to a state of grace, and if you sit with his work for a while, you begin to sense that this is far from an outstanding objective. To recognize that objective, one needs at least a vague understanding of the philosophy of Kariya, who was born in Japan but who has lived in the United States since 1977. The best introduction to it is the wall text he has composed for his tripartite installation at the Institute of Contemporary Art at the University of Pennsylvania, as part of the ICA’s ongoing “Investigations” series. The installation, which will continue through April 25, is called Sutra: One Thing in Everything, Everything in One Thing. The text, hand-printed on the wall in ink, introduces the section that occupies the upper gallery. It reads as follows: ...................................................................... ​ ABANDONED, BURIED, BURNT, AND/OR LOST In addition to the work being shown, there exists, somewhere in this universe, the work that I abandoned, buried, burned, and/or lost, which is not visible here. In Japan, Sutra writing is occasionally performed as a mass for the dead, a prayer for the recovery of sickly person, or as a prayer for a wish to be granted. The writers sacrifice their spirit and time for the sake of fulfilling their true wish. They commit themselves to spending a certain period of time while making an endeavor toward a certain amount of work. Sometimes a sutra is made by means other than writing. It may take the form of a silent prayer or action that is consciously repeated to obtain what is being focused upon. Some works are buried underground- for that which is nature’s return to nature, the universal system. Another reason is a message for the future. It is their undeniable knowledge to resurface and be recalled. Once every year, usually at the beginning of the year, some of these writings are gathered and burned to ashes of holiness. Thus, they receive a new beginning, a new life, and are reborn. They celebrate the incessant resurrection of nature. Hiroshi Kariya 1990 ..................................................................... The key concepts in this passage are sutra and rebirth, the foundation of all three parts of Kariya’s installation. In Indian philosophy, a Sutra (from the Sanskrit word for thread) is a compilation of rules or principles that governs a particular aspect of life, For example, Kama sutra, the one most familiar to Westerners, codifies the conventions of physical love. Kariya adapts the concept as a group of words that conveys a fundamental idea about the world in a way that transcends time and place. The sutra underlying Kariya’s work, which he has written on various objects thousands of times since 1977, is “is the now”. To him, this inelegant phrase represents the immediacy of creation, and for him the act of creating is more important than the thing created. .................................................................... Kariya also believes that the material world is a continuum, that nothing is ever irrevocably destroyed, that the present can speak to the future just as the past speaks to the present, and that nature should be respected. Rebirth, which the installation expresses more prosaically as recycling, is a concept to be honored and encouraged. .................................................................... For Kariya, the installation represents a prolonged act of meditation on immortality. It is a contemplative work constructed with humble materials such as rocks, beans and driftwood, which have been energized through repetitive sutra inscriptions in ink and paint. The easiest part of the installation for an observer to grasp is Memory Wall, which occupies the west wall of the lower gallery. Memory Wall expresses the idea of rebirth literally; It’s constructed of the framing lumber and sheetrock that were used for the previous installation in the gallery, by Russian artist Ilya Kabakov. Kabakov’s installation consisted of a sheetrock wall that covered the south end of the lower gallery and a free-standing U-shaped wall in the center of the room. Kariya demolished these walls, but before he did, he sectioned them with chalklines into grids and marked with an identifying letter and number, much as archaeologists mark out a dig site. Kariya then assembled some of the larger chunks of the demolished Kabakov walls into a new, irregular wall. The leftover framing lumber is neatly stacked at the side, each piece numbered, and the debris, including even the dust from the demolition, is heaped behind it. Simple as it is, Memory Wall embodies the idea of reincarnation with surprising eloquence. Its post-Kabakov codings testify to its former existence, and its deliberately ragged appearance reminds the observer that it honors the spirit of reincarnation more than material perfection. ​ .................................................................... (This fragment was revealed after demolition, used for Andy Wahol’s first Museum solo exhibition) Andy Wahol’s memory wooden fragment #26 .................................................................... But it does have a practical aspect. Kariya has stamped and numbered 800 small pieces of sheetrock that the ICA will sell for a dollar each, with the proceeds to be used to recoup the cost of the Kbakov walls. On the opposite wall of the lower gallery, Kariya has installed a work-in-progress called 8000 Years Spring, 8000 Years Autumn. Forty-eight feet long by 8 feet high, it is made of pieces of used wood, each 2 feet long. The pieces are stacked on the wall in six rows. The stacks vary in height, and most of the wood is tinted green (for spring) or red and purple (for autumn). Most also are marked with a simulated script that represents Kariya’s “is the now” sutra. The sutra writing also covers a series of large scrolls open to various lengths on the floor in front of the wall. The visual effect of the wall array is something like an abstract codex or calendar. One recognizes it as a record of time passed, but it also alludes to the rhythmic cadence of language. Because sutra writing is abstract-it vaguely resembles Arabic or Persian-it communicates metaphorically, but its incantatory purpose is clear. ...The most ritualistic aspect of the total installation, Sutra Tomb, occupies the upper gallery. Here, Kariya displays a panoply of sutra objects-wooden discs (on which his sutra is written continuously in a spiral), pieces of driftwood, rocks, small jars of paint, and miscellaneous objects such as candles, seashells, postcards, bones and small paper scrolls. Some of these items are organized systematically on a sturdy, wooden free-standing shelf, while others are laid out on the floor behind it. The observer isn’t allowed to walk around or through the piece, so he or she experiences it as a succession of fragmented views. To the left, a 20-foot-wide ring of 100 limestone fragments, each covered with sutra writing, circles through an adjacent gallery and links up with the central array; to the right, a ring of 100 piles of white beans, totaling about 100, a “grasp” The arrangement does approximate an ancient burial chamber, where offerings are left to propitiate gods, but through the seeds it also implies dormancy and rebirth. Like 8000 Years, through, it cannot be deciphered by an outsider, nor do I think the artist intends that anyone should need to do so. Literal translation isn’t necessary; the spirit of the work is palpable from its form and constituent elements. If one were to come upon a similar display deep in a primeval forest or in a secluded mountain cave, as an artifact of a vanished civilization, one would understand its purpose intuitively. The most distinctive quality of Kariya’s work, aside from the patience and dedication it obviously demands, is that the process of making it-the “sacrifice” to which he refers in his wall text-is more consequential than the artifacts it produces. It is, in fact, its essence. By coming upon this installation after the artist has completed his labor (or at least interrupted it), the observer unfortunately misses the main event, which is the artist focusing intently on his task. This art isn’t intended as interpersonal communication; it describes a solitary, almost penitential search for communion with a cosmic unity. One judges the quality of such a quest much as one would evaluate a religious mission, by the artist’s persistence and dedication to his ideals. By this standard, Kariya has achieved the most meaningful goal to which art can aspire. Edward J. Sozanski, Philadelphia Inquirer, 3.18, 1990 →🇯🇵 SITE ​ PRESS 2000s 2020 ARCHETYPE 2018 O.KOPYRUSHA 1990s 1998 OMATA IZUMI 1998 ERIC MEZIL 1996 M.MIYATAKE 1995 A.M.WEAVER 1994 Y.KURABAYASHI 1994 S.WATANABE 1990 W.SOZANSKI OTHERS HOME 2000's 1990's 1980's PRESS VIDEO PROJECT BLOG Search Results More 瞑想、創造、再生 Sozanski/1990 ​ エドワード・J・ソザンスキー フィラデルフィアインクワイア紙掲載記事1990年3月18日 刈谷博が自らに課した設定は、宇宙とも呼ばれる存在の悠久を通じて、この宇宙も含む全存在のありとあらゆること、全生命、あらゆる人類、場所、物性、それら尽くは一体であるということをアートで表現することである。 彼はこの課題に13年間(2020年現在43年間)、東洋の神秘とでも云われる強靭な不動心に立ち向かったのであろう。刈谷の芸術は物作りとは関係ないのである。それは観察者に恵みの状態に似たより高い意識を刺激するのです、そしてあなたが彼の仕事としばらく座っているならば、あなたはこれが目立ちたがる類の目的からはほど遠いことを感じ始めるのである。 その目的を認識するには、日本で生まれ、1977年からアメリカに居住している刈谷の哲学を少なくとも漠然と理解する必要があると思われる。それを最もよく紹介しているのは、彼が三部構成の展示のために作成したウォールテキストに紹介される。この展示はペンシルベニア大学の現代美術館の企画、現在進行形のICA「調査」シリーズ一環での紹介となります。 4月25日まで継続展示されるインスタレーションは「Sutra:One Thing in Everything、Everything in One Thing」と題されている。壁に直接作家自身によるインクでの手書きテキストは、上部のギャラリーを占めるセクションで紹介され、次のように読むことが出来る: 「壁面記述」 ................................................................... 放棄、埋没、焼失、および/または紛失と表示されている作品に加えて、この宇宙のどこかに、私が放棄、埋葬、焼却、および/または失った作品が存在します。それらはここでは見られないかも知れない、だがそれらは確実に存在している。 日本では、一般的に、お経とは、死者のためのミサ、病人の回復のための祈り、または願いを叶えるための祈祷として行われることがあります。 行者たちは真の願いの実現達成に精神と時間を費やします。彼らは、一定の仕事量に向けて精進し、一定の期間を実践・修験することを自らが自らに契約いたします。 時には人により場合により、お経は書く以外の手段でも施行されます。 それは、曼:全てを一つのもとに集合し、荼羅:修験として所有意識波動に同調する静謐な祈りや行の形をとることがあります。(呼吸法が最適な一例です) いくつかの作品は地下に埋められたりします。それは自然から自然への還元、普遍的なシステムへの融合です。また別の理由は、未来(の自身)への伝承メッセージです。物証はいずれは再浮上し機を得て彼らの明日に蘇ります。 毎年一度、通常は年の初めに、過去の記述の幾つかは集められ、焼かれます。そうやって、私たちは新しく始まり、新しく生を受け取り、生まれ変わりを意識します。そして、絶えることのない自然の営みを祝います。 ................................................................ 刈谷博1990 このパッセージの重要な概念は、経典と再生であり、刈谷のインスタレーションの三つの部分すべての基礎となっています。 インド哲学では、経典(サンスクリット語で糸を意味する)は、人生の特定の側面を指導する規則または原則をまとめたものです。たとえば、西洋人に最もよく知られているカーマスートラは、肉体的な愛の慣習を成文化しています。刈谷は、時間と場所を超えた方法で世界についての基本的な考えを伝える言葉のグループ(三文字)によって概念を適合させます。 1977年以来、種々雑多なオブジェに何千回も書いてきた刈谷の作品の根底にあるお経は「*is the now」です。彼にとって、このエレガントでないフレーズは創造の即時性を表し、彼にとって創造する行為は創造されたものよりも重要で実践にあるのです。*「is the now」→「the now is」→「now is the」 刈谷はまた、物質界は連続体であり、取り返しのつかないほど破壊されるものは何一つとてなく、過去が現在に語りかけるように現在が未来に語りかける、その自然に敬意を表すべきであると信じます。ここでインスタレーションという展示プロセスが再生として表現されます。再生という概念がリサイクルとして暴力的に表現されます。目的は、その考えが尊く敬われ、奨励されるべき概念として提示されます。 刈谷にとって、インスタレーションは不死についての瞑想の永劫の行為の一環を表します。石、豆種子、流木などの素朴な素材で構成された瞑想的な作品で、インクと絵の具で繰り返されるお経の連続によって活気づけられているのです。 ​ ​ 「記憶の壁」 観客が鑑賞するインスタレーションの最も簡単な部分は、下のギャラリーの西の壁を占める記憶の壁です。記憶の壁は、文字通り再生のアイデアを表現しています。これは、ロシアのアーティスト、イリヤ&エミリア・カバコフがギャラリーで以前の彼らの展示の為に設置され使用されたフレーミング材と石膏ボードで構成されています。 カバコフのインスタレーションは、階下ギャラリーの南端を覆うシートロックの壁と、部屋の中央に設えた自立型のU字型の壁で構成されていました。刈谷はこれらの壁を取り壊しますが、事前に、あたかも考古学者が発掘現場をマークするのと同じように、彼はそれらをチョークラインでグリッドに分割し、識別文字と番号でマークを施します。 その後、刈谷は取り壊されたカバコフの壁の大きな塊のいくつかを新しい不規則な壁に組み立てます。残った骨組み材は側面に整然と積み上げられ、それぞれの認識番号が付けられた断片や、解体からのほこりも含めた破片がその後ろに山積みされます。 シンプルでありながら、「記憶の壁」は驚くべき雄弁さで生まれ変わりのアイデアを具現化します。そのカバコフ後の不在表示コーディングは、その以前の存在を証明しており、その意図的な不規則な外観は、物質的な完全性よりも生まれ変わりの精神の尊重が提示されていることを観察者に思い起こさせます。 .................................................................... そして断片アンディウォーホルの記憶の木片#26(木片は解体後に当事者の記憶で明らかになり、アンディウォーホルの最初の美術館の個展に使用された歴史が語られる)。 .................................................................... ​ 次に現実かつ実用的な側面として、刈谷は800個の掌の大きさの断片を販売し再生の価値を検証します。800個の小さな石膏ボードにスタンプを押して通し番号を付け、一人一個一ドル札でのみICAが1ドルで販売するという作品です。その収益はカバコフの壁の材料費を回収するために使用されるというものです。 ​ ​ 「8000年春、8000年秋」 ​ 階下のギャラリーの反対側の壁に、刈谷は8000年春、8000年秋と呼ばれる現在進行形の作業を設置します。長さ48フィート、高さ8フィートで、それぞれ長さ2フィートの使用済みの木片で組み立てられています。断片は壁に6列に積み重ねられています。高さはさまざまで、ほとんどの木材は緑(春の場合)または赤と紫(秋)に着色されています。それぞれは同じように、刈谷の「the now is」の経典を表すシミュレートされたスクリプトでマークされています。経典はまた、壁の前の床にさまざまな長さで開いている一連の大きな巻物につづいています。壁の配列の視覚効果は、抽象的なコーデックスやカレンダーのようなものです。人はそれを経過した時間の記録として認識しますが、それはまた言語のリズミカルなリズムをほのめかします。経典は抽象的であるため(アラビア語やペルシア語に漠然と似ています)、以心伝心が比喩的に感受されますが、その本質的な目的は明らかです。 ​ 「経墓」 ...全体のインスタレーションの中で最も儀式的な側面である経典は、上部のギャラリーを占めています。ここで、刈谷は、木製の円盤(彼の経典がらせん状に連続的に書かれている)、流木、岩、小さな瓶の絵の具、キャンドル、貝殻、はがき、骨、小さなものなどの雑多なオブジェクトのパノラマを表示します紙の巻物。これらのアイテムのいくつかは、頑丈な木製の自立型棚に体系的に整理されていますが、他のアイテムはその後ろの床に配置されています。オブザーバーは作品の中を歩き回ったり、通り抜けたりすることは許可されていないため、断片化された一連の景観としてそれが体験されます。 左側には、幅20フィートの100個の石灰岩の破片の輪があり、それぞれが経典で覆われており、隣接するギャラリーを一周し、中央の配列とつながっています。右側には、白インゲンマメの100の山の輪、合計約100粒の「ひと握り」が展示されています。この配置は、神をなだめるための供物が残されている古代の埋葬室に似ていますが、種子を通して休眠と再生も意味します。 8000年のように、それは部外者によって解読されることを望むものでもなく、アーティストは誰もがそうする必要があると意図しているとも思えません。直訳は必要ない。作品の精神は、その形と構成要素から明白だからです。それは原生林の奥深くや人里離れた山の洞窟で、消えた文明の遺物として同様の展示に出くわすと、その目的を直感的に理解できるでしょう。明らかに要求される忍耐と献身を除けば、刈谷の作品の最も特徴的な質は、作品、それを作るプロセス、つまり彼が壁のテキストで言及している「実を経験し修めること・犠牲」が、それが表面に生み出すアーティファクトよりも重要であるということです。実、というそれがその本質です。 アーティストが自分の仕事を終えた(または少なくともそれを中断させた後に)このインスタレーションに出くわすことによって、オブザーバーは残念ながらメインイベントを見逃すのです。それはアーティストが自身が成し遂げようとしている仕事の核心に向かって注意を振り絞っているということです。この芸術は対人コミュニケーションを目的としたものではないかも知れないのです。それは、宇宙の統一との交わりのためのそれぞれの一人ひとりの孤独な、ほとんど悔い改めの探求を説明しているかのようです。芸術家の強靭さと彼の崇高への献身によって、まるで宗教的使命を科しているかのように、そのような希求の質が判断されるのです。この基準に因るならば、刈谷は芸術が目指すことができる最も意義のある目標を達成していると思うのである。 ​ エドワードJ.ソザンスキー,フィラデルフィアインクワイア,3/18/1990 Edward J. Sozanski, Philadelphia Inquirer, 3.18, 1990 →🇺🇸 SITE> 98 ERIC MEZIL OMATA IZUMI 96 MIYATAKE 95 A.M.WEAVER 94 KURABAYASHI 90 SOZANSKI 18 KOPYRUSHA 96 MIYATAKE 95 A.M.WEAVER 94 KURABAYASHI 90 SOZANSKI SITE ​ PRESS 2000s 2020 ARCHETYPE 2018 O.KOPYRUSHA 1990s 1998 OMATA IZUMI 1998 ERIC MEZIL 1996 M.MIYATAKE 1995 A.M.WEAVER 1994 Y.KURABAYASHI 1994 S.WATANABE 1990 W.SOZANSKI OTHERS

    • Hiroshi Kariya | New York Based Artist | 1990 | ICA Philadelphia

      TOP SUTRA TOMB STONE SUTRA WALL TEXT 8000YEARS KABAKOV GALLERY CONCEPT CONTACT SITE ​ PRESS 2000s 2020 ARCHETYPE 2018 O.KOPYRUSHA 1990s 1998 OMATA IZUMI 1998 ERIC MEZIL 1996 M.MIYATAKE 1995 A.M.WEAVER 1994 Y.KURABAYASHI 1994 S.WATANABE 1990 W.SOZANSKI OTHERS SUTRA ONE THING IN EVERYTHING EVERYTHING IN ONE THING 90ICAPhila9 90ICAPhila10 90ICAPhila18g 90ICAPhila9 1/12 HOME 2000's 1990's 1980's PRESS VIDEO PROJECT BLOG Search Results More HOME 2000's 1990's 1980's PRESS VIDEO PROJECT BLOG Search Results More Installation view from 3rd floor balcony Blotter Series Blotter series, Brash paint cleaning writings through paint brash cleanings. acrylic paint, saved paint container, craft paper, dimension variable. 1986~ 90ICAPhila30 Installation view from 3rd floor balcony 1/10 HOME 2000's 1990's 1980's PRESS VIDEO PROJECT BLOG Search Results More KABAKOV'S WALL DEBRIS RECYCLE FOR THE BETTER TOMORROW Sutra Tomb Collection of 13 years of work organized on 12 layered of wooden shelves, top, behind and side. The silhouette of form is adopted for the downstairs work "8000 Years of Spring, 8000 Years of Autumn". No audience is permitted enter the work, but fragmented view through the work only. ICA Philadelphia, PA, 1990 8000 Years Spring, 8000 Years Autumn Acrylic on wood (wall), acryclic on craft paper (floor). ICA Philadelphia, PA, 1990 8000 Years Spring, 8000 Years Autumn Acrylic on wood. ICA Philadelphia, PA, 1990 8000 Years Spring, 8000 Years Autumn Acrylic on wood (wall), acryclic on craft paper (floor). ICA Philadelphia, PA, 1990 8000 Years Spring, 8000 Years Autumn Acrylic on wood (wall), acryclic on craft paper (floor). ICA Philadelphia, PA, 1990 8000 Years Spring, 8000 Years Autumn Acrylic on wood (wall), acryclic on craft paper (floor). Ink bottles placed on the edge of paper. ICA Philadelphia, PA, 1990 8000 Years Spring, 8000 Years Autumn Acrylic on wood (wall), acryclic on craft paper (floor). Viewing wooden stool for the viewer to sit. ICA Philadelphia, PA, 1990 8000 Years Spring, 8000 Years Autumn Acrylic on wood (wall), acryclic on craft paper (floor), and audience viewing long bench to sit. ICA Philadelphia, PA, 1990 90ICAPhila23 Acrylic on on craft paper. ICA Philadelphia, PA, 1990 Show More HOME 2000's 1990's 1980's PRESS VIDEO PROJECT BLOG Search Results More Roots of Thought ​ 3. Ilya Kabakov's wall shall be destroyed. ​ 7. Kabakov's wall materials shall be saved; the world's natural resources problem shall be reflected in the work. ​ 2. The wall for shall be built; all materials shall be used from the marked demolition; wood studs shall be numbered and/or used for framing. Fragment Passage Kabakov's wall ​ 4. This is the documentation. ​ 9. Kabakov's materials shall be marked identify their origin. The north wall piece shall be marked with a grid in chalk at four foot intervals and Blue numbered in black to identify the original grid location. The U-shaped wall piece shall be marked in a chalk line and marked the same as above. Red ​ 13. The shape, the dimension, and the origin shall be reflected in the work. ​ 8. The materials available at the field shall be used. ​ 11. The documentation shall be made and exhibited as part of the work. ​ 10. Every piece of Kabakov's wall shall be installed and assembled as single pieces and groups in this exhibition. ​ 16. Some of Kabakov's wall shall be installed inside (upper Gallery). Some of Kabakov's materials shall be numbered, sealed in a plastic bag, and sold to the public for a purchase price of a single dollar bill, limited to one piece per person. All profits shall be used for purchasing new installation materials for ICA. The number of pieces for sale shall be determined by the amount it will cost to buy new materials for new walls. Sutra Tomb ​ 17. The viewer shall not be able to see the entire contents of the work at a glance. They will gain the vision of a fragmented whole by changing angles. ​ 15. The surface of the work: the form of Sutra, a fragmentation. ​ 12. The wall shall be called or Memory, Re-Member. ​ 14. The work is dedicated to the anonymous, unknown, abandoned, buried, used, useless, ugly, forgotten, and dead. ​ 19. This would not exist without Gorvachev, the Berlin Wall, and New York Sanitation. ​ 5. I saw Ilya Kabakov's installation at Ronald Feldman Fine Arts twice. ​ 6. The relationship between things and humans exixst as part of the work. ​ 1. Sprout. ​ 18. Everything not included here should not be excluded. ​ ​ "Roots of Thought" Hiroshi Kariya / March 16, 1990, Philadelphia SITE ​ PRESS 2000s 2020 ARCHETYPE 2018 O.KOPYRUSHA 1990s 1998 OMATA IZUMI 1998 ERIC MEZIL 1996 M.MIYATAKE 1995 A.M.WEAVER 1994 Y.KURABAYASHI 1994 S.WATANABE 1990 W.SOZANSKI OTHERS

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